マリア・セノビア・イスキエルド・グティエレス、通称マリア・イスキエルド(1902年~1955年)は、メキシコを代表する画家の一人です。メキシコ人画家として初めて、自らの作品を国外で発表した先駆者としても知られています。
画家への道――最初の展覧会
マリア・セノビア・イスキエルド・グティエレスは1902年(一部の伝記作家は1906年生まれとしています)、メキシコのサン・フアン・デ・ロス・ラゴスに生まれました。5歳のときに父親を亡くし、母親が再婚するまで祖父母のもとで育てられます。14歳のときには見合い結婚でカンディード・ポサダス大佐と結ばれ、17歳までにすでに3人の子供をもうけていました。
1920年代、夫と別れた後、マリアは国立美術学校(エスカエラ・ナシオナル・デ・ベジャス・アルテス)に入学し、身の回りの世界を描き始めます。初期の代表作には、1928年の「ベレンの肖像」や1930年の「眠る少女たち」があり、その後は静物画や風景画へと題材を広げていきました。彼女を指導したのは画家ルフィーノ・タマイオで、タマイオは彼女の絵画スタイルに大きな影響を与え、二人の間には恋愛関係もあったといわれています。
入学初年度から4つの展覧会に参加したマリアの作品は、一般の観客のみならず同業者たちからも絶賛されました。特に壁画の巨匠ディエゴ・リベラは、彼女を学校で最も優れた学生の一人と高く評価していたといいます。
国際的な評価
1930年、マリア・イスキエルドはニューヨークのアートセンター画廊で初の個展を開催します。肖像画、風景画、静物画を含む油彩14点を展示し、同年にはニューヨークのメトロポリタン美術館においても、ルフィーノ・タマイオやディエゴ・リベラとともに作品を発表しました。これにより彼女の才能への評価は一気に国際的なものとなり、1940年にはパリでも展示を行っています。さらに1944年5月にはメキシコの文化大使に任命され、同年9月まで南米各国を歴訪しました。
しかし1940年代半ば、マリアは初めて心臓発作に襲われ、画家としての活動を一時中断せざるを得なくなります。それでも体が動かなくなるまで絵を描き続けた彼女は、1955年12月2日、心臓発作のためこの世を去りました。52歳でした。
鮮やかな色彩と独自の世界
マリア・イスキエルドの作品は、豊かで鮮やかな色彩が最大の特徴です。家族の団らんの情景、静物、風景などを主なモチーフとし、素朴ながら力強い表現で多くの人々を魅了しました。テーマの選び方によってはシュルレアリスムの画家に分類されることもありますが、本人は終始そのように自認することはありませんでした。メキシコの民衆芸術の伝統と現代性を融合させた彼女の絵画は、今日でも国内外で高く評価され続けています。