歴史上の人物

サルダール・パテールの確信――インド分割がなければ、すべては我々の手から失われていた

サルダール・パテールの確信――インド分割がなければ、すべては我々の手から失われていた

1947年、イギリスからの独立を目前に控えたインドは、ヒンドゥー教徒とムスリムの対立を背景に、国家分裂という歴史的決断を迫られていた。「鉄の男」と呼ばれたサルダール・ヴァッラブバーイー・パテールは、なぜ分割を受け入れたのか。当時の彼の発言をたどりながら、その真意に迫る。

1947年6月14日、国民会議での発言

1947年6月14日、全インド国民会議の会合で、ゴーヴィンド・ヴァッラブ・パントはマウントバッテン案について次のように述べた。
「独立を勝ち取る唯一の道は、1947年6月3日の計画を受け入れることである」

続いてインド分割の必要性を説いたサルダール・パテールは、こう語った。
「身体の一部が壊死したなら、毒が全身に回る前に早めに切り離すのが正しい。ムスリム連盟から解放されるためなら、インドの一部を差し出す覚悟はある」

「毒はインドの身体から取り除かれた」

こうして国民は、重い胸のうちにインド分割という決断を受け入れた。1947年8月7日、ジンナーはインドを永久に去り、カラチへと向かった。その翌日、サルダール・パテールは次のような声明を発表している。
「毒はインドの身体から取り除かれた。今や我々は一つであり、誰も我々を引き裂くことはできない。川や海の水が分け隔てられることはないように。パキスタンへ移るムスリムたちのルーツも、宗教的な聖地や中心地もここにある。彼らがパキスタンで何をするのか私にはわからないが、近いうちに必ず我々のもとへ戻ってくるだろう」

もし分割を受け入れなかったら

独立後、サルダールはこう述べている。
「もしパキスタンの受け入れを拒んでいたら、あらゆる役所にパキスタンの支部が置かれていただろう。残されたインドで何とかするしかない。さもなければ、インド全体が我々の手から離れてしまう」

さらに彼は声明の中でこう強調した。
「インドを強く安全な国にする唯一の方法は、残されたインドを組織することだ。分割後であれば、少なくとも国土の75%から80%を強力なものにできる。残りはムスリム連盟に任せればよい」

ナグプールでの証言――1947年11月

独立後まもない1947年11月、サルダール・パテールはナグプールで次のように語った。
「当時の我々は、国の分割を受け入れなければ、すべてが我々の手から離れてしまうという瀬戸際に立たされていたのだ」

サルダール・パテールにとって、分割は自ら望んだものではなく、独立という大義を守るための苦渋の選択だったのである。