
1192年の第二次タラーインの戦いでプリトヴィーラージ3世を破ったシャハーブッディーン・ムハンマド・ゴーリーは、故プリトヴィーラージの息子ゴーヴィンドラージをアジメールの王位に据え、デリーへ引き揚げた。しかしその帰還の途上、ハーンシー付近で一人のチャウハン族の武将がムハンマド・ゴーリーの行く手を阻んだのである。
正体不明のチャウハンの武将
『タジュル・マースィル』の著者ハサン・ニザーミーは、この武将の名前も詳細な経歴も記録していない。同書によれば、この武将はクトゥブッディーン・アイバクによって討ち取られたという。一方、別の資料では、この武将をプリトヴィーラージの長男「レーナシー」とする記述も存在する。
しかし、プリトヴィーラージの息子たちの中にレーナシーという名の人物は実在しなかったことが分かっている。したがって、ハーンシー近郊でゴーリーの軍勢を阻んだのは、プリトヴィーラージの息子ではなく別人の可能性が高い。おそらく本人の名こそレーナシーだったのだろうが、後世のバート族(吟遊詩人)たちが彼をプリトヴィーラージの息子として語り伝えたものと考えられている。
弟ハリラージの蜂起
ハサン・ニザーミーやファリシュタの記録によれば、シャハーブッディーン・ゴーリーが征服地インドの総督にクトゥブッディーン・アイバクを任命してガズニーへ帰還すると、プリトヴィーラージの弟ハリラージが、ムスリムに服属したゴーヴィンドラージをアジメールから追放し、自ら王位に就いた。なお、一部の文献には弟の名を「ヒラージ」とする誤記があるが、正しくはハリラージである。
この頃、クトゥブッディーン・アイバクはベナレス、カナウジ、コイル方面での戦役に従事しており、ゴーヴィンドラージを支援する余裕がなかった。孤立無援となったゴーヴィンドラージはアジメール城を放棄し、ランタンボールへと退いた。
ランタンボール攻防戦
ゴーヴィンドラージがアジメールからランタンボールへ移ると、叔父にあたるハリラージはただちにランタンボールを包囲した。ゴーヴィンドラージは再びクトゥブッディーン・アイバクに救援を求めた。アイバクの援軍が到着すると、ハリラージは包囲を解いてアジメールへ撤退した。
1195年――ジャウハルの決断
1194年、ハリラージは部将チャットラージをデリー攻略に差し向けたが、クトゥブッディーン・アイバクはこれを撃破した。アイバクは追撃してアジメールまで進軍し、タラーガルフ要塞を包囲した。ハリラージは自ら出撃して戦ったものの敗北した。
『ハミール・マハーカーヴヤ』によれば、敗北が不可避であることを悟ったハリラージは、部将ジャイトラ・シンとともに女性たちを率いて城内に火をかけ、生きたまま炎に身を投じた(ジャウハル)。こうして1195年、アジメールは再びムスリムの手に落ちたのである。ハリラージの死後、アイバクはゴーヴィンドラージにアジメールを委ねるとともに、ムスリム総督を置いて統治を監督させた。チャウハーン帝国が衰退した後も、歴代の支配者が設立したアジメールの鋳造所は機能し続け、そこではデリーのスルターンの名を刻んだ貨幣が鋳造されていた。
チャウハーン家の退場
やがて後にデリー・スルターン朝の初代スルターンとなるクトゥブッディーン・アイバクは、サイイド・フサイン・ハーンカー・サワール・ミーラーン・サーヒブをアジメールの監察官に任じた。こうして12世紀末までに、アジメールのチャウハーン家は歴史の表舞台から姿を消し、シャカーンバリー王国は滅亡した。天界にも比肩する誇り高き都アジメールの栄光は、ここに幕を閉じたのである。
1202年4月12日の夜襲
1202年4月12日の夜、タラーガルフ周辺に暮らすラートール族とチャウハン族の一団がアジメール城を急襲した。彼らの狙いは、城内に駐屯するムスリム士官サイイド・フサイン・ミーラーンを討ち、ラージプートの支配を復活させることであった。漆黒の闇の中で両軍は激突し、城内にいたムスリム守備隊は全滅。監察官サイイド・フサイン・ハーンカー・サワール・ミーラーンも殺害され、アジメール城は再びヒンドゥー教徒の手に戻った。
ガズニーからの報復軍
城から逃れたムスリム兵がこの知らせをデリーに届けると、クトゥブッディーン・アイバクは憤激した。しかし、即座に城を奪回できるほどの兵力を持たなかった彼は、報復のためガズニーから大軍を呼び寄せた。ガズニーから到着した大軍は、ラージプートの手からビトリの砦を奪還すると、さらにアジメールで凄惨な虐殺を行った。この報復はまさに恐るべきものであった。
ガズニー軍はタラーガルフに拠っていたラージプート兵を皆殺しにした後、要塞近くに住むラージプートの家族たちを捕らえ、割礼を施してイスラームへの改宗を強制した。改宗後、これらのラージプート系の家族はタラーガルフの近郊に定住し、後に「デーシュワーリー・ムスリム」と呼ばれるようになった。
差別された「土地のムスリム」たち
しかし彼らは、ガズニーやゴール出身のムスリムたちから軽蔑の眼差しで見られることになる。ガズニー出自のムスリムたちは、インド土着のムスリムに対して対等の地位を与えず、軍隊への入隊さえ許さなかった。その結果、土着のムスリムたちは冷遇された生活を強いられ、経済状況も日増しに悪化していった。こうしてアジメールに貧困の種が蒔かれることになったのである。
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(文=モハンラール・グプタ博士)