
シャルル・ピエール・フランソワ・オージュロー(Charles Pierre François Augereau、1757年10月21日 - 1816年6月12日)は、フランス革命戦争からナポレオン戦争へとかけて活躍したフランスの軍人であり、第一帝政下でフランス元帥に列せられた人物である。
革命期の台頭
フランス革命が勃発すると、オージュローはヴァンデ地方でロシニョール将軍の副官を務めた。やがてボナパルト(後のナポレオン1世)に見出され、イタリア遠征に従軍。カスティリオーネの戦いなどで華々しい武功を挙げ、自らの手で栄光を勝ち取った将軍となった。
政治の舞台での浮沈
オージュローは政治の場にも進出し、五百人会では左派の議席を占めた。1797年のフリュクティドール18日のクーデター(王党派の粛清)には、軍事的な支柱として積極的に関与している。
一方、1799年のブリュメール18日のクーデター(ナポレオンによる政権掌握)に対しては、当初はこれを非難する立場をとった。しかし後にナポレオンのもとへ戻り、1804年にはフランス元帥に任命され、さらに1808年にはカスティリオーネ公爵に叙せられた。
帝国の戦場で
元帥となったオージュローは、イエナの戦いをはじめとする帝国の主要な戦役に次々と参加した。1807年のアイラウの戦いでは重傷を負うなど、危険を顧みず最前線で戦い抜いた。
晩年と評価
しかしながら、晩年のオージュローにはかつての闘志が陰りを見せ始める。1814年、連合軍がフランス本土へ侵攻すると、彼は早期の撤退を優先し、往年の果断さを失ったと評されるようになった。数々の戦役で蓄えた莫大な富を守り、安穏とした余生を送ることを望むようになったのである。
1816年6月12日、オージュローはこの世を去った。革命から帝政へと至る激動の時代を駆け抜けた元帥の生涯は、栄光と退廃の両面を持つ、ナポレオン時代の縮図とも言えるものである。