歴史上の人物

リュシアン・ボナパルト(1775年〜1840年):ナポレオンを支えた弟の波乱の生涯

リュシアン・ボナパルト(1775年〜1840年)

リュシアン・ボナパルト(1775年〜1840年):ナポレオンを支えた弟の波乱の生涯

リュシアン・ボナパルトは、フランス第一帝政の皇帝ナポレオン1世の弟にあたる人物です。兄たちと同じく、少年時代をシャンパーニュ地方のブリエンヌ陸軍学校で過ごしました。

政治への道

リュシアンは幼い頃から政治に強い魅力を感じていました。フランス革命期には熱心な共和主義者として頭角を現し、やがて代議院(五百人会)の議員に選出されます。その後、わずか24歳という若さで五百人会の議長にまで昇りつめました。

ブリュメール18日のクーデター

1799年11月9日(共和暦8年ブリュメール18日)、兄ナポレオンが権力掌握を目指してクーデターを起こすと、リュシアンは決定的な役割を果たします。議場でナポレオンが激しく糾弾されて窮地に陥った際、議長であったリュシアンは巧みな弁舌と機転で事態を収拾し、兵士を動員して反対派を排除。この活躍によりクーデターは成功し、統領政府の樹立へとつながりました。

内務大臣からスペイン大使へ

統領政府成立後、リュシアンは内務大臣に任命されます。しかし、その強烈な個性と独立心ゆえに兄との対立が深まり、ほどなくして内務大臣を解任。その後はスペイン駐在大使としてマドリードに赴任することになりました。

晩年

その後もリュシアンはナポレオンとの確執を続け、再婚問題などを巡って決定的に決裂。ローマ教皇領に移住し、「カニーノ公」の称号を得て文化人としての生活を送りました。1840年、イタリアのヴィテルボでその生涯を閉じています。