歴史上の人物

アルマン・ド・コーランクール侯爵(1773年~1827年)|ナポレオンに仕えたフランスの外交官・将軍

アルマン・ド・コーランクール侯爵(1773年~1827年)|ナポレオンに仕えたフランスの外交官・将軍

アルマン・ド・コーランクール侯爵とは

アルマン・ド・コーランクール(Armand de Caulaincourt、1773年~1827年)は、フランス第一帝政期を代表する外交官・軍人です。ピカルディ地方の名門貴族に生まれ、若くして騎兵将校として頭角を現すと、やがてナポレオン・ボナパルトの深い信任を得て、軍事と外交の両面で帝国の中核を担う存在となりました。

ボナパルトの副官として

1802年、コーランクールはボナパルトの副官(aide-de-camp)に任じられ、以降は皇帝の側近として仕えることになります。宮廷では馬術部門の長官(グラン・エキュイエ)も務め、儀礼と実務の両方で皇帝を支えました。

駐ロシア大使として(1807年~1811年)

1807年から1811年にかけて、彼は駐ロシア大使を務めます。ティルジット条約締結前後の微妙な時期にあって、皇帝アレクサンドル1世との信頼関係を築き上げ、露仏両国の関係維持に尽力しました。この時代の外交経験は、のちの彼の政治的立場を大きく左右することになります。

外務大臣とシャティヨン会議

1813年、ロシア遠征の失敗によってフランスが追い詰められるなか、コーランクールは外務大臣に就任します。翌1814年には、連合国との講和を協議するシャティヨン会議においてナポレオンの全権代表を務め、和平交渉の最前線に立ちました。妥協の余地が狭まるなかでも、可能な限り有利な条件を追求しようとしたと伝えられています。

皇帝への揺るぎない忠誠

コーランクールを語るうえで欠かせないのが、ナポレオンへの並外れた忠誠心です。1812年のロシア遠征では皇帝に随行して苦難を分かち合い、1814年の最初の退位後、絶望のあまり毒をあおいだ皇帝のそばにあって、その直後に変わらぬ友情を証明した数少ない側近の一人でした。権威が失墜しても態度を変えなかったその姿勢は、同時代の人々からも高く評価されています。

晩年

百日天下の際には再びナポレオンに仕えましたが、第二次王政復古後は一時的に追放されます。のちに許されてフランス貴族院議員となり、1827年にパリで生涯を閉じました。彼が残した回想録は、ナポレオンという人物の内面を描いた貴重な一次資料として、今日なお歴史家たちに読み継がれています。