
クロドミールとは
クロドミール(494年頃 - 524年)は、フランク王国の創始者クローヴィス1世と王妃クロティルドの間に生まれた三人の息子の長男です。511年に父クローヴィスが死去すると、フランク王国は伝統に従って息子たちによって分割されました。クロドミールはこの分割でオルレアンを中心とする王国を受け継ぎ、メロヴィング朝の王として君臨することになりました。
母クロティルドの復讐 ― ブルグントとの戦い
母クロティルドにとって、ブルグント王家は深い因縁を持つ相手でした。彼女の両親はかつてブルグント王グンドバトの手によって殺されていたのです。この宿怨を晴らすため、クロドミールは弟たちとともにブルグントへの遠征を決意しました。
523年、クロドミール率いるフランク軍はブルグント王ジギスムントを打ち破り、これを捕虜としました。ジギスムントはオルレアン近郊で処刑されたと伝えられています。しかし、この勝利は決定的なものではありませんでした。
ヴェズロンースの戦いと戦死
翌524年、処刑されたジギスムントの兄弟ゴダマールがブルグント軍を率いて反撃に転じます。ヴェズロンースの戦いにおいて、クロドミールは敗北し、命を落としました。復讐のために戦った王自身が、今度は復讐される側となったのです。わずか30歳前後での悲劇的な最期でした。
息子たちの運命とサン=クルーの由来
クロドミールの死後、祖母クロティルドは孫たちを引き取り、大切に育てようとしました。ところが、亡き兄の領土を狙う叔父たち――パリ王キルデベルト1世とソワソン王クロタール1世――は、幼いテウドバルドとグンテルの二人を殺害してしまいました。
奇跡的に生き延びたのは三男のクロドアルドだけでした。彼は宮廷を逃れ、世俗を捨てて聖職者の道へ進み、後に自らの名を冠する修道院を創建しました。この修道院は「サン=クルー」と呼ばれるようになり、今日のパリ近郊サン=クルーという地名の由来となっています。