歴史上の人物

カミーユ・デムーラン(1760年 - 1794年)— フランス革命を煽ったジャーナリスト

カミーユ・デムーランとは

カミーユ・デムーラン(Camille Desmoulins、1760年3月2日 - 1794年4月5日)は、フランス革命期に活躍した弁護士、ジャーナリスト、政治家です。雄弁な演説と過激なパンフレットによって民衆の感情を巧みに煽り、革命の火付け役となった人物として知られています。

バスティーユ襲撃への導火線となった演説

1789年7月12日、デムーランはパレ・ロワイヤル(王宮広場)に立つと、テーブルの上に立ち上がって群衆に向かって演説を行いました。この演説はパリの民衆を蜂起へと駆り立てるきっかけとなり、その熱気は2日後の7月14日のバスティーユ牢獄襲撃という歴史的な事件へと結実しました。彼が帽子に木の葉を挿して「自由の印」とした逸話は有名で、この日以降、彼は「パレ・ロワイヤルの検事」と呼ばれるようになりました。

コルドリー派としての活動

国民議会では山岳派(モンタニャール)に属し、コルドリー・クラブに加盟しました。同クラブではファーブル・ド・グラティーヌやダントンと親交を深め、彼らとともにジロンド派との激しい政争を戦いました。ダントンとは幼少期からの友人であり、革命期を通じて行動を共にする盟友関係でした。

ジャーナリズムによる世論への影響力

デムーランの真骨頂は、何よりもその鋭く攻撃的な筆致にありました。自身が発行する新聞・機関誌上で展開した過激な論説は、当時の世論に絶大な影響力を及ぼしました。

  • 『フランスおよびブラバント革命』(Révolutions de France et de Brabant、1789年 - 1791年):革命の動向を伝え、権威ある体制を痛烈に批判した週刊誌。
  • 『老コルドリー党員』(Le Vieux Cordelier、1793年 - 1794年):恐怖政治の過激さに対して寛容さを訴えた晩年の機関紙。

最期

しかし、『老コルドリー党員』での穏健な主張はロベスピエールらの怒りを買うことになりました。1794年4月5日、デムーランは盟友ダントンとともに反革命の罪で断頭台に送られ、34歳の短い生涯を閉じました。革命を煽り、そして革命に呑まれた彼の生涯は、フランス革命の激動を象徴するものといえるでしょう。