アンゲラン・ド・マリニー(Enguerrand de Marigny、1260年頃 - 1315年)は、フランス王フィリップ4世(端麗王)に仕えた宮廷侍従兼大臣です。王の深い信任を得て王国財政の実権を握り、中世フランスで最も有能な財務官僚の一人とされますが、その辣腕ぶりゆえに多くの敵を作り、最終的には絞首台で生涯を閉じることになりました。
フィリップ4世の寵臣として
マリニーはノルマンディー出身の下級貴族でした。当初は王族に仕えていましたが、やがてフィリップ4世の目に留まり、宮廷へ引き立てられます。1306年にはノルマンディー地方の財務を統括するために派遣され、以降は王国全体の財政運営の中核を担う存在となりました。
彼の手によって、通貨の改鋳による王庫の充実や税制の整備など、数々の財政改革が進められました。フィリップ4世からは多くの贈り物や報酬を受けていたことが知られていますが、興味深いことに、同時にイングランド王エドワード2世からも年金を受け取っていたことが記録に残っています。
ルイ10世の即位と告発
1314年にフィリップ4世が死去し、その息子ルイ10世(強行王)が即位すると、情勢は一変しました。新王の側近たちは、かつてマリニーが権力を握る過程で排除してきた貴族たちであり、彼に対する告発が次々と持ち上がったのです。
その罪状は多岐にわたり、横領、通貨の不正改鋳、王領森林の濫伐、教会からの資金着服、さらには魔術の使用にまで及びました。
疑わしい裁判と処刑
1315年、マリニーは公正さを欠いた裁判で有罪を宣告されました。当時の慣例に従い、貴族身分の者は斬首ではなく絞首刑に処されることとなり、パリ近郊モンフォーコンの絞首台でその生涯を終えました。
死後の名誉回復
処刑後、彼の遺体(あるいはその残骸)は、見せしめとして2年間ものあいだ絞首台に晒され続けました。しかし1317年、再審が開かれ、無罪の宣告によって名誉は回復されます。こうして遺体はようやく絞首台から降ろされ、エクーアンの参事会教会に埋葬されたのです。
マリニーの生涯は、王の信任を背景に権力の頂点まで上り詰めた人物が、庇護者の死とともに一瞬で転落するという、中世宮廷政治の苛烈さを象徴する物語といえます。