
アンギャン公ルイ・アントワーヌ・アンリは、フランス貴族社会において最も名門とされるコンデ公家の末裔であり、ブルボン朝の傍系に連なる人物でした。
エッテンハイムでの静かな亡命生活
フランス革命後、彼はストラスブールの対岸に位置するバーデン領エッテンハイムに亡命し、平服姿で穏やかな日々を送っていました。フランス本土からほど近い場所ではありましたが、政治活動に直接関与していた形跡はほとんどありません。
深夜の拉致とヴァンセンヌ城での処刑
1804年3月15日から16日にかけての夜、ナポレオンの部隊が国境を越えてアンギャン公を拉致しました。彼はただちにパリへ移送され、ヴァンセンヌ城で簡素な軍事法廷にかけられた後、同日夜のうちに銃殺されたのです。
処刑の背景 ― カドゥーダル陰謀事件
当時、第一統領ナポレオンは、ブルボン家の復位を目指す王党派の動きに強い警戒心を抱いていました。ジョルジュ・カドゥーダルらによる暗殺計画が発覚した「カドゥーダル事件」は、ナポレオンの疑心を決定的なものとし、その見せしめとしてアンギャン公が選ばれたと考えられています。
この処刑はヨーロッパ各国に大きな衝撃を与え、ナポレオンに対する批判が一気に高まりました。一方で国内の王党派の動きを抑える効果はあったものの、この出来事はナポレオンの生涯に残る重大な汚点として、後世まで語り継がれることとなりました。