
フレデゴンド(Frédégonde、545年頃 – 597年)は、フランク王国メロヴィング朝のネウストリア王キルペリク1世の王妃です。身分低き使用人から王妃の座へと駆け上がり、その道程で数々の陰謀と暗殺に関与したとされ、中世ヨーロッパ史上でも屈指の「冷酷な女傑」として名を残しています。
侍女から王妃へ ― 美貌を武器とした成り上がり
フレデゴンドは元々、ネウストリア王キルペリク1世の妻に仕える侍女でした。しかし、その美貌によって王の心を掴み、やがて彼の寵愛を受けるようになります。キルペリクは最初の妻を離縁した後、西ゴート王国の王女ガルスウィンタ(ガイスウィンタ)を後妻として迎えました。
ところがフレデゴンドは諦めません。王妃の座を手に入れるためなら手段を選ばぬ彼女は、キルペリクを唆してガルスウィンタを暗殺させます。こうして彼女は念願のネウストリア王妃となったのです。
オーストラシアとの戦いと暗殺の数々
王妃となった後も、フレデゴンドの冷酷さは止まりませんでした。彼女は隣国オーストラシアとの戦争を積極的に推進し、575年にはオーストラシア王シギベルト1世の暗殺を実行させています。
さらに、自ら産んだ子孫に王位を継承させるため、キルペリクの先妻の息子たちまでも排除の対象としました。584年にキルペリク1世自身が何者かによって殺害された際にも、その黒幕としてフレデゴンドの名が挙げられています。
ゴントランの庇護とキルデベルト2世への毒殺計画
夫の死後、幼い息子クロタール2世の摂政として権力を握ったフレデゴンドは、ブルグント王ゴントランの保護下に入ることで立場を安定させました。一方で、オーストラシアの若き王キルデベルト2世に対しては、度重なる毒殺の企てを行ったと伝えられています。
ブルンヒルドとの宿命の抗争
フレデゴンドの生涯を語る上で欠かせないのが、義姉にあたるオーストラシア太后ブルンヒルドとの因縁の対決です。ブルンヒルドは暗殺された妹ガルスウィンタの復讐者として立ち上がり、両者の確執は数十年にわたり続きました。この「二人の女王の戦い」は、ネウストリアとオーストラシアの対立を煽り、メロヴィング朝全体を分裂と混乱へと導く一因となりました。
その最期
597年、フレデゴンドは54歳でこの世を去りました。彼女の死後、遺恨は息子クロタール2世とブルンヒルドの間で受け継がれ、613年にブルンヒルドが処刑されるまで決着することはありませんでした。野望と陰謀に満ちたその生涯は、後世の文学や絵画にも題材として取り上げられ、今なお人々の想像力を掻き立ててやみません。