歴史上の人物

ギーズ公フランソワ(1520〜1563):フランス宗教戦争の引き金を引いた名将「傷面公」

ギーズ公フランソワとは

フランソワ・ド・ロレーヌ、すなわち初代ギーズ公フランソワ(1520年 - 1563年)は、フランス王フランソワ1世からアンリ2世に仕えた、16世紀フランスを代表する軍人です。ヴァロワ朝後期の政治と宗教戦争に深く関わり、顔の傷にちなんだ異名「バラフレ(傷面公)」でも広く知られています。

軍人としての華々しい経歴

1545年からは、イングランドの手に落ちていたブローニュ包囲戦に参加しました。この戦いで顔に深い傷を負ったことがきっかけとなり、「傷面公(バラフレ)」のあだ名で呼ばれるようになります。

アンリ2世の治世下では、ナポリやスコットランドへの遠征をはじめ、ほぼすべての戦役に参戦しました。特に1552年には、神聖ローマ皇帝カール5世(シャルル・カン)によるメス包囲を撃退し、さらに1558年にはイングランドからカレーを奪還するという大功を挙げています。

権力の頂点とプロテスタントとの対立

若くして即位したフランソワ2世のもとでは、王の義父として王国の政務を事実上主導する立場に立ちました。しかし、その強権的な政治はプロテスタント(ユグノー)勢力の強い反発を招き、彼らはアンボワーズ陰謀事件を組織して対抗します。

フランソワ2世の死後にシャルル9世が即位すると、実権は母后カトリーヌ・ド・メディシスが握り、彼女はプロテスタントへの融和政策を推進しました。これを受け入れられなかったギーズ公は、1562年のヴァシー虐殺によって第一次宗教戦争の口火を切ることとなります。

悲劇的な最期

1563年、ギーズ公は改革派(ユグノー)の一人物によって暗殺されました。その背後では、海軍提督ガスパール・ド・コリニーが首謀者であったと広く考えられています。