歴史上の人物

ラザール・オッシュ(1768年〜1797年):フランス革命を駆け抜けた29歳の名将

ラザール・オッシュ(1768年〜1797年):フランス革命を駆け抜けた29歳の名将

ラザール・オッシュ(Lazare Hoche、1768年〜1797年)は、フランス革命期に頭角を現した若き天才将軍である。わずか29歳でこの世を去りながらも、その短い生涯の中で数々の軍事的・政治的功績を残し、武力だけでなく寛容さによって内戦を終結させようとした人物として、今日でも高く評価されている。

国王の厩舎から国民衛兵へ

1768年、ヴェルサイユ近郊のモントルイユに生まれたオッシュは、当初、国王の厩舎で使用人として働いていた。しかし1789年にフランス革命が勃発すると、彼は国民衛兵に身を投じ、その才覚を認められて伍長、さらに軍曹へと昇進していく。出自に関係なく能力次第で立身できる道が開かれた革命期ならではの出世劇であった。

モゼル軍団の司令官として

1793年、わずか25歳にしてモゼル軍団の司令官に任命されたオッシュは、オーストリア軍とプロイセン軍の侵攻を見事に退けた。国境防衛におけるこの活躍により、彼は一躍共和国を代表する将軍の一人となったのである。

告発による投獄と釈放

しかし順風満帆な軍歴には試練も訪れた。将軍ピシュグリュによる告発を受け、オッシュは「容疑者」として逮捕され、投獄されてしまう。だが、1794年7月27日のテルミドール9日のクーデターによってロベスピエール政権が崩壊すると、彼は釈放され、再び軍務に復帰することになった。

ヴァンデの平定とキブロンの戦い

1794年から1796年にかけて、オッシュは内戦が続くヴァンデ地方の平定を担った。ここで発揮されたのが、彼の最大の特質である「傾聴と寛容」の姿傾聴と寛容」の姿勢である。徹底した武力制圧ではなく、王党派との和解を目指す方針を採った結果、1795年に王党派が仕掛けた最後の大規模な反攻となったキブロン上陸作戦を粉砕し、さらにシュアレットとの間でラ・ジョネの和約を締結することに成功した。敵対者さえも魅了したと言われる彼の人望は、ここで遺憾なく発揮されたのである。

アイルランド遠征の失敗と晩年

1796年末、オッシュはイギリスの背後を突くことを目的としたアイルランド遠征を指揮した。しかし出航した艦隊は嵐に見舞われて散逸し、遠征は失敗に終わった。帰国後はサンブル=エ=ムーズ軍団の司令官を務め、また陸軍大臣への就任の打診を受けたが、これを固辞している。

1797年9月19日、オッシュは結核のためライン河畔のヴェッツドルフで死去した。29歳という若すぎる死であった。もし彼が生きていれば、フランスの歴史は大きく変わっていたかもしれないと言われるほど、その早世は多くの人々に惜しまれた。