
ナポレオン1世の末弟として生まれる
ジェローム・ボナパルト(Jérôme Bonaparte、1784年11月15日 - 1860年6月24日)は、コルシカ島アジャクシオに生まれたボナパルト家の末子であり、フランス皇帝ナポレオン1世の最年少の弟にあたる人物です。
若くして海軍士官としてキャリアを始めましたが、青年期には奔放な行動でも知られていました。1803年には渡米先のボルチモアでアメリカ人女性エリザベス・パターソンと結婚しますが、ナポレオンはこの結婚を認めず、婚姻は無効とされました。その後、彼はヴュルテンベルク王女カタリーナを新たな妻として迎えています。
1807年、ヴェストファーレン国王に即位
1807年、ナポレオンはドイツ西部に衛星国家であるヴェストファーレン王国を建てると、24歳のジェロームをその王座につけました。彼は約6年にわたって同国を統治しましたが、宮廷の豪華さや放縦な生活ぶりがしばしば批判された一方で、ドイツ諸邦では珍しい近代的な法制度の導入なども行われました。王国は1813年のライプツィヒの戦い後、ナポレオン体制の崩壊とともに消滅することになります。
ワーテルローの戦いと百日天下
1815年の「百日天下」の間、ジェロームは再び兄のもとで軍務に復帰し、ベルギー方面への遠征(ベルギー戦役)に参加しました。彼は第6軍団を指揮してカトル・ブラの戦いにも投入され、続く1815年6月18日のワーテルローの戦いでは勇戦したものの負傷を負っています。
そしてナポレオンが戦場を離脱した後、ジェロームが一時的に軍の指揮を引き継いだとされています。しかし帝国の崩壊は避けられず、彼は亡命先のアメリカへと去らなければなりませんでした。
第二帝政下での栄達 ― 元帥そして元老院議長へ
亡命生活の後、1847年にフランスへの帰国が許されたジェロームは、甥にあたるルイ=ナポレオン(のちのナポレオン3世)の台頭とともに再び表舞台へ戻ります。
- 1850年: フランス元帥に列せられる
- 1852年: 第二帝政の成立とともに元老院(上院)議長に就任
かつてのヴェストファーレン王としての経験を持つ唯一の生存者として、彼は帝政の象徴的な存在となりました。
晩年と死
ジェローム・ボナパルトは1860年6月24日、イル=ド=フランス地方のヴィルジェニス城にて75歳で死去しました。彼の子孫は「ボナパルト家」の正統な系統として続き、その血筋は現在まで受け継がれています。また、最初の結婚による息子の子孫には、アメリカで司法長官を務めたチャールズ・ジョセフ・ボナパルトがおり、興味深い歴史的つながりを残しています。