
オルレアン公ルイ(Louis Ier d'Orléans、1372年 – 1407年)は、フランス国王シャルル5世の息子であり、のちに精神を病むことになる国王シャルル6世の弟として生まれました。兄の統治が困難になった時期には王国政治の中心人物となり、フランス史における激動の転換点に関わった人物です。
ブルゴーニュ公家との権力闘争
シャルル6世の病により王権が不安定化すると、ルイは叔父にあたるブルゴーニュ公フィリップ豪胆公(フィリップ・ル・アルディ)、そしてその死後は従兄のジャン無怖公(ジャン・サン・プール)と、王国の主導権をめぐって鋭く対立しました。ルイは宮廷内で影響力を拡大し続けましたが、その権勢や浪費ぶり、さらには王妃イザボー・ド・バヴィエールの愛人ではないかという噂まで広まり、多くの敵を作る原因となったと伝えられています。
暗殺と内戦の勃発
1407年11月23日、ルイはパリ市内で刺客に襲われ、命を落としました。この暗殺はジャン無怖公の命令によるものとされています。この暴挙が引き金となり、フランスはオルレアン派(のちのアルマニャック派)とブルゴーニュ派という二大勢力による長く苛烈な内戦へと突入し、すでに百年戦争で疲弊していた王国をさらに深い混乱へと陥れました。
ヴァロワ=オルレアン家の始祖
ルイはヴァロワ=オルレアン家の始祖としても重要な存在です。彼の息子には、優れた詩人としても名高いシャルル・ドルレアンがおり、その子がのちのフランス国王ルイ12世となりました。また、彼には「オルレアンの庶子」と呼ばれた著名な私生児ジャン(ジャン・ド・デュノワ)がおり、ジャンはのちにジャンヌ・ダルクとともにオルレアン包囲戦で活躍した名将として歴史に名を残しています。