ブル・ランの戦いと北軍の指揮官たち
1861年7月21日にバージニア州で行われた第一次ブル・ランの戦い(第一次マンアサスの戦い)は、南北戦争における最初の本格的な大規模陸戦でした。首都ワシントンD.C.に近いこの地で、北軍(連邦軍)は南軍(アメリカ連合国軍)を撃破し、リッチモンドへの進軍を目指しましたが、結果は南軍の勝利に終わりました。
この戦いにおいて北軍を率いた主要な将軍は、以下の3人です。
1. アーヴィン・マクドウェル(Irvin McDowell)
北東バージニア軍の総司令官として、主力部隊を直接指揮した人物です。西点军校出身の職業軍人であり、「勝たねばならない」という政治的圧力のもと、訓練が十分でない志願兵部隊を率いて南軍に挑みました。しかし作戦の遅れや部隊間の連携不足が響き、敗北の責任を負うこととなりました。
2. ロバート・パターソン(Robert Patterson)
シェナンドー渓谷方面の北軍部隊を指揮した veteran 将軍です。彼の任務は、ジョセフ・E・ジョンストン率いる南南軍部隊を釘付けにし、ブル・ランへの増援を防ぐことでした。しかし彼はこれに失敗し、ジョンストン軍が鉄道で戦場に急行したことが、北軍敗北の大きな要因の一つとなりました。
3. デイヴィッド・ハンター(David Hunter)
マクドウェル麾下の師団長の一人で、戦闘前半にはヘンリー・ハウス・ヒル周辺での攻撃を担当しました。後に彼はサウスカロライナやジョージア方面で「解放軍令」を発するなど、奴隷制問題に関わる大胆な政策でも知られる将軍です。
戦いの帰結
当初優勢に見えた北軍でしたが、ストーンウォール・ジャクソン率いる南軍の粘り強い防御と、到着した増援部隊により戦況は逆転します。北軍は混乱の中でワシントンへ退却し、この敗北は「戦争は短期間で終わる」という楽観論を打ち砕き、南北戦争が長期化することを両陣営に認識させました。