
建築家から将軍へ
ジャン=バティスト・クレベール(Jean-Baptiste Kléber、1753年〜1800年)は、フランス革命戦争期を代表する将軍の一人です。ストラスブールに生まれた彼は、もともと建築家としての教育を受けた人物でした。若き日には一時オーストリア軍に仕官したこともありますが、ほどなくしてこれを離れ、後にフランス革命軍に身を投じることになります。
マインツ包囲戦での英雄的防衛
クレベールがその名を広く知られるようになったのは、ドイツのマインツ包囲戦(1793年)においてです。彼は同市の防衛を指揮し、包囲軍を相手に英雄的な抵抗を見せました。この勇名はフランス全土に響き渡り、彼は革命軍きっての有能な指揮官として高く評価されるようになります。
ヴァンデ戦線とショレの勝利
同年、内乱が激化していたヴァンデの戦線に転じると、クレベールは王党派反乱軍との戦いで目覚ましい活躍を見せます。特にショレの戦いで王党派を撃破した功績により、戦場にてその場で師団将軍への昇進を命じられるという栄誉に浴しました。
フルリュスの戦いとジュールダンとの不和
1794年のフルリュスの戦いにおいても卓越した指揮ぶりを発揮しましたが、司令官ジャン=バティスト・ジュールダンとの意見の対立が原因で、まもなく軍務を離れることとなりました。
エジプト遠征と総司令官への就任
1798年、クレベールはナポレオン・ボナパルトとともにエジプト遠征に参加します。1799年にナポレオンがフランスへ帰国すると、彼はエジプトにおけるフランス軍の総司令官の座を引き継ぎました。1800年にはヘリオポリスの戦いでオスマン帝国軍を破るなど、困難な状況の中でも優れた統率力を発揮しています。
カイロでの暗殺
しかし同年1800年6月14日、クレベールはカイロにおいて刺客の刃に倒れ、この世を去りました。享年46歳。建築家として出発しながら革命軍の柱として活躍し、異郷エジプトで非業の最期を遂げた彼の生涯は、激動の革命時代を象徴するものといえるでしょう。