歴史上の人物

シギベルト3世(631年〜656年)―メロヴィング朝アウストラシア王の生涯

シギベルト3世(Sigebert III、631年頃 - 656年2月1日)は、フランク王国メロヴィング朝のアウストラシア王です。父はフランク王ダゴベルト1世、母はその側室ラグネトルードであり、幼くして王位に就き、波乱に満ちた生涯を送りました。

3歳での即位

父ダゴベルト1世は、シギベルトがわずか3歳のときにアウストラシアの王位につけました。幼い王の教育と後見は、アウストラシア公アダルジセルが担当することになりました。

宮宰グリモアルドの台頭

640年、グリモアルドが宮宰(マイヨール・ドゥ・パレ)に就任すると、王権は次第にその影響下に置かれるようになります。同年、わずか10歳のシギベルトは、反乱を起こしたテューリンゲン公ラドゥルフ討伐の遠征へと駆り出されましたが、この戦いは苦戦の末に失敗に終わったと伝えられています。

結婚と養子縁組

成長したシギベルトは、美しいアイルランド出身の女性イムネヒルディス(Emnechildis)と結婚しました。しかし、宮宰グリモアルドからの強い圧力を受け、彼はグリモアルドの実の息子を「キルデベルト」という名で養子として迎え入れることを余儀なくされました。

死とその後の悲劇

656年に死去する際、シギベルトはグリモアルドの思惑に反して、実子のダゴベルトをアウストラシア王の継承者(後のダゴベルト2世)として指名しました。これに対しグリモアルドは、未亡人イムネヒルディスと幼いダゴベルトをアイルランドの修道院へ追放し、代わりに自分の息子を「キルデベルト(養子王)」として王位に就けました。

歴史的意義

シギベルト3世の治世は、メロヴィング朝の王権が衰退し、宮宰が実権を握るようになった転換点とされています。そのため、彼はしばしば「無為王(ロワ・フェネアン)」と呼ばれる傀儡君主の最初の例として挙げられることもあります。