チャールズ・ドワイト・シグスビー(Charles Dwight Sigsbee、1845年1月16日~1923年7月13日)は、アメリカ合衆国の海軍軍人です。半世紀近くにわたって米海軍に仕え、最終的には少将まで昇進しました。その名を最も広く知らしめたのは、1898年にハバナ港で爆沈した装甲艦「メイン号(USS Maine)」の艦長を務めていたことです。この事件は米西戦争の発端となりました。
生い立ちと海軍への道
シグスビーはニューヨーク州オールバニに生まれ、首都ワシントンD.C.で育ちました。1857年に海軍兵学校(アナポリス)に入学し、南北戦争が始まろうとしていた1861年に卒業しました。
南北戦争での従軍
卒業後まもなく勃発した南北戦争では、複数の艦船に乗り組んで実戦を経験しました。その一つである「ブルックリン号(USS Brooklyn)」は、バージニア州リッチモンドに置かれていた南軍の首都を海上から封鎖する北軍艦隊の一翼を担いました。
戦後のさまざまな任務
南北戦争後もシグスビーは海軍にとどまり、数々の艦船勤務を重ねました。1875年には「ワイオミング号(USS Wyoming)」の指揮官として地中海への航海を行っています。また、「テキサス号(USS Texas)」の副長を務めていた時期には、同艦が所属する艦隊がメキシコ情勢に関わるアメリカの介入作戦を支援しました。
メイン号艦長として
1897年、シグスビーは大西洋艦隊に配属された新型装甲艦「メイン号」の艦長に任命されました。1898年1月、政情不安が続いていたキューバのハバナへ派遣され、現地のアメリカ人市民の保護にあたりました。
しかし1898年2月15日、メイン号はハバナ港内で突如爆発して沈没し、乗員266名が命を落としました。シグスビー自身は、わずかに生き残った者の一人でした。
米西戦争とその後の経歴
メイン号の爆沈はアメリカ国内に激しい怒りと衝撃を与え、米西戦争への引き金となりました。惨事に際して示したシグスビーの冷静さと指揮ぶりは広く称賛を受け、1898年4月には大佐に昇進。「セントルイス号(USS St. Louis)」の指揮を任され、戦争中のいくつかの作戦に参加しました。
戦後も海軍での勤務を続け、装甲艦「ケンタッキー号(USS Kentucky)」の艦長などを務めました。さらに1900年から1902年にかけては、グアムの総督も務めています。
功績と評価
シグスビーは軍人としての活躍だけでなく、深海の水深を測定する「シグスビー式測深機」の考案者としても知られており、海洋調査の分野にも貢献を残しました。
晩年
シグスビーは1907年、少将の階級で海軍を退役しました。その後はワシントンD.C.で暮らし、1923年にこの地で亡くなりました。メイン号の悲劇とともに記憶される彼の人生は、19世紀後半から20世紀初頭のアメリカ海軍の歴史を映す存在といえるでしょう。