結婚は、何世紀にもわたって受け継がれてきた儀式のひとつです。現代では二人の愛情の証となっていますが、長きにわたり家同士の同盟を結ぶための道具であり、社会的地位を上り詰めるための手段でもありました。この記事では、中世の結婚が時代とともにどのように変化していったのか、そしてそこから派生したさまざまな儀式や習慣についてご紹介します。甘い恋愛小説がお好きな方には、この中世の結婚事情は少々骨太かもしれませんよ😃
世紀を超えて進化した中世の結婚
一夫多妻制から一夫一妻制へ
古代、特にローマの上流社会では一夫多妻制が一般的で、一人の男性が複数の妻と結ばれることも珍しくありませんでした。しかし2世紀になると慣習が変化し、中世の結婚は一夫一妻制へと移行します。……とはいえ、それは建前の話。実際には、内縁関係や不貞行為は依然として後を絶ちませんでした。こうした行為は教会によって認められていないものの、黙認されていたのが実情です。
また、やや稀ではあるものの、禁止されながらも容認されていた慣習がありました。それが若い娘の誘拐、いわゆる略奪婚です。この型破りな方法により、男性は自分より高い身分の相手と結婚したり、両親に反対された結婚を既成事実化したりすることができたのです。
同族婚から上方婚へ
8世紀までの中世初期において、結婚の主な目的は家同士の同盟を結ぶ、あるいは強化することでした。この時代の結婚は「同族婚」、つまり限られた身内の枠組みの中で行われるものでした。そのため、かなり近い親等の従兄妹同士の結婚も一般的でした。この時期の結婚には、まだ宗教色がほとんどなかったのです。
9世紀に入ると、カロリング朝の台頭とともにこの慣習は変化していきます。カロリング朝は教会とともに一夫一妻の夫婦制度を確立し、その解消を不可能にすることで結婚を統制し始めました。7親等までの同族婚は禁止され、近親婚は完全に禁じられることとなります。
こうした変化により、中世の結婚は家同士の盟約のためのものから、自らの社会的地位を高め、勢力を拡大するためのものへと姿を変えていきました。貴族は出世のために、より高い身分の女性との結婚を目指したのです。そして宗教が結婚の中に確固たる地位を築き、やがて教会による結婚式だけが法的に有効な結婚とされるようになりました。
中世で結婚した年齢は?
初婚年齢もまた、時代とともに変化してきました。12世紀においては、婚約できる最低年齢は7歳、結婚できる年齢は12歳とされていました。
14世紀、ペストがフランス王国を襲っていた頃には、平均初婚年齢は女性で約15歳、男性で25歳程度でした。しかしここで新たな現象が生まれます。死亡率が高かったため再婚が頻繁に行われ、夫婦間の年齢差が拡大していったのです。この大きな年齢差は、安定した境遇を得てから妻を娶ろうと待つ貴族の間で特に顕著でした。
中世末期には、男性の平均初婚年齢は30歳、女性は21歳となりました。
中世の結婚式
11世紀までの儀式の不在
11世紀まで、結婚はほとんど祝われることがなく、披露宴のような催しは存在しませんでした。貴族にとっては、指輪の交換と、夫から妻への寡婦財産(ドゥエール)の授与だけで十分でした(寡婦財産とは、夫の死後に妻が請求できる財産のことです)。ただし、未亡人が再婚した場合にはこの財産は無効となります。当時の結婚は非常にプライベートなもので、祝賀ムードとは無縁の時代でした。農民たちの間では結婚式という儀式そのものが稀で、二人が同居することで結婚が成立し、宗教的な義務もありませんでした。
11世紀、公に祝われるようになった結婚
11世紀から、中世の結婚式は大きく変貌を遂げます。宗教的な要素が前面に出るようになり、結婚は私的なものではなくなりました。式は証人の前で公に行われます。これは、同族婚ではないことを人々に証明させるためでした。式典は通常教会のポーチ(玄関前の空間)で執り行われ、これが結婚の法的有効性の保証となりました。またこの時期に、父親が花嫁を差し出すという儀礼も登場します。新郎新婦が指輪を交換した後、キスを交わすようになったのもこの頃です。
13世紀、祝祭の場となった結婚式
中世の結婚式が本来の意味を持つようになるのは13世紀になってからです。結婚は教会の中で、証人の前で本格的に祝福されるようになりました。有名な「この指輪と共に、あなたと結婚します」という誓いの言葉や、新郎新婦を新居へと導く婚礼の行列といった儀式も登場します。そして教会は、結婚を正式なものとし、統制するために一連の慣習を課すようになったのです。
中世における婚姻の円満とは
結婚の目的は子孫繁栄
中世において、情熱や愛に基づく結婚は認められていませんでした。むしろ禁止されていたのです。中世の結婚の目的は同盟の締結や社会上昇であり、それは子をもうけることによって達成されるものでした。したがって、夫婦の営みは快楽のためではなく、子どもを作り家族を増やすためだけのものでした。式典の後には司祭が結婚の寝床を祝福し、夫婦の営みが実を結ぶように祈ったといいます。
夫婦の営みは「婚姻の義務」とも呼ばれました。男性は力強くあるべきであり、女性は夫に子どもを与え、母親になるべきだとされたのです。夫婦には強く推奨されていた一方で、多くの禁止事項の対象でもありました。多くの体位が厳格に禁止され、認められていたのは正常位のみ。夫婦生活に工夫や刺激を加えようとする者は、教会によって厳しく断罪されました。さらに肉体的な「快楽」は特に厳しい暦にも縛られていたのです。
中世の禁欲期間
中世の夫婦は、好きなときに夫婦関係を持つことができませんでした。数々の禁欲期間が設けられていたのです。まず曜日としては、日曜・水曜・金曜が禁止。1年のうちでは、復活祭やクリスマスの断食期間、そしてすべての聖なる祝日の間も不可。さらに月経中、妊娠中、出産後40日間、授乳中も許されませんでした。この婚姻のルールは、農民であろうと国王や王妃であろうと等しく適用されました。
もし中世の夫婦がこれらの禁止事項を本当に遵守していたら、生まれてくる子どもの数はずっと少なかったことでしょう。
中世の「初夜権」:事実か虚構か?
有名な「初夜権(droit de cuissage)」とは、領主が家臣や農奴の新妻の結婚を「完成させる」権利として語られるものです。つまり、結婚式の後、領主が夫妻の寝床に入り若い花嫁と共に過ごすというもの。しかし、この「初夜権」はまぎれもなく伝説です。中世の結婚に関する文献記録の中に、この種の状況を裏付けるものは一切存在しません。この伝説は、貴族の横暴を糾弾するために、啓蒙時代や19世紀に語られるようになったものなのです。
中世に離婚は存在したのか?
中世の結婚は解消不可能なものでした。いかなる場合でも、配偶者が「離婚」して結婚を終わらせることはできません。ただし、例外的に結婚を解消できるケースがいくつか存在しました。配偶者の不能(インポテンツ)により相続人を得られない場合、血族関係がある場合、本人の同意がない結婚であった場合、あるいは配偶者が修道会に入ることを望んだ場合などです。
出典:
Justine Defrance著『Daily Life in the Middle Ages(中世の日常生活)』— New World Edition