はじめに――ワイルドの嘆き
1882年、オスカー・ワイルドはこう嘆きました。「16世紀から今日に至るまで、私たちの娘たちに課されなかった拷問は一つとして存在しない。そして女性たちは、無思慮で怪物のような『ファッション』の名のもとに耐え続けてきたのだ」と。
彼の言葉は正しかったのです。彼の時代には、最初の「ファッション・ヴィクティム(ファッションの犠牲者)」が誕生しました。しかもそれは、比喩ではなく文字通りの意味でした。
ヒ素中毒だけではない危険
19世紀に「ファッションの犠牲者」となる道は、ヒ素中毒による病や死だけではありませんでした(このテーマについては、ぜひ関連記事もご覧ください!)。
もうひとつの死因となったのが、当時最も流行していたクリノリン・ドレスを身につけたまま焼き尽くされるという悲劇です。クリノリンとは、金属の輪や馬毛織物を布地の中に組み込み、スカートを大きく膨らませたドレスで、1850年頃から人気を博していました。
優雅さの頂点、しかし実用性ゼロ
間違いなくエレガントだったクリノリンですが、その実、極めて実用性に欠けていました。占めるスペースがあまりにも大きすぎたのです。レディたちは肘掛け椅子に座ることさえままならず、ドアを通って歩くこと、混雑した場所を歩くこと、列車や乗合馬車での移動、さらには膝をつくことすら困難でした。
紳士たちからは「散歩中に同伴の女性に腕を貸してあげられない」という不満が漏れたほどです。
クリノリンは致命的なだけでなく、本当に巨大なものでした!
さらに厄介なことに、風の強い日にはクリノリンが簡単に風でめくり上がってしまいました。しかし何より恐ろしかったのは発火の危険性です。お嬢さん方は自分のドレスの裾がどこにあるのかさえ確認できなかったのですから、無理もない話でした。
「ホット」すぎるファッション
フランスのある女優は、ドレスに引火して命を落としました。当時の劇場では、ガス灯や石灰光(ライムライト)といった裸火を使った照明が用いられていたのです。
また、あるドイツ貴族の女性は、喫煙しているところを見られまいと、タバコをスカートの下に隠そうとしました。しかし火がクリノリンに燃え移り、哀れな喫煙者は生きたまま焼け死んでしまったのです。
オスカー・ワイルドの異母姉妹二人も、パーティーの場でクリノリンによって命を奪われました。一人のドレスに引火し、もう一人が彼女を助けようとして巻き込まれたのです。
数千人の犠牲者
1850年代後半から1860年代にかけてのわずか10年ほどの間に、イングランドでは実に3,000人の女性が自分のドレスに焼かれて死亡しました。
クリノリンの断面図。まさに悪魔的な発明といえます。
犠牲者の中にはバレリーナも含まれていました。ガス灯の火が、ムスリン(薄手の綿布)で作られたチュチュに燃え移ったのです。繊細で軽やかなチュチュは、妖精や幽霊を描いた幻想的な舞台にふさわしい幽玄な姿をバレリーナに与えていました。そこへ花輪やショールが加わります。
そんな姿の少女たちは、まるで松明のように燃え上がりました。こうした悲劇は「バレリーナのホロコースト」と呼ばれることもあります。
もちろん、難燃性の生地を選ぶことは可能でした。しかし大多数の踊り子たちは「醜すぎる」と敬遠したのです。そもそも彼女たちはビクトリア朝に生きていました。クリノリンに殺されなかったとしても、コルセットかヒ素入り化粧品が命を奪っていたことでしょう……。
参考文献
- Bales Kortsch Ch., Dress Culture in Late Victorian Women's Fiction. Literacy, Textiles, and Activism, Ashgate Publishing Limited, 2009.
- Chrisp P., A History of Fashion and Costume. The Victorian Age, Bailey Publishing Associates Ltd., 2005.
- Paterson M., A Brief History of Life in Victorian Britain, Running Press Book Publishers, 2008.
- Steele P., A History of Fashion and Costume. The Nineteenth Century, Bailey Publishing Associates Ltd., 2005.