歴史物語

古代ギリシャ・ローマにおける不倫の実態と過酷な制裁――法と慣習の狭間で

古代ギリシャ・ローマ世界において、婚姻は一夫一婦制を建前としていた。しかし現実は、愛人、妾、娼婦、奴隷、そして少年愛(ペデラスティア)と、男性の性的相手は多岐にわたっていた。妻は家庭を守り子を産む「事業パートナー」として位置づけられ、ベッドの相手としては「退屈な存在」とさえ見なされていたのだ。

建前の一夫一婦、実態の複婚

ギリシャ・ローマの婚姻は法的に一夫一婦だった。一夫多妻は「未開人の習俗」と蔑まれたが、マケドニア朝やプトレマイオス朝といった王家では例外的に認められていた。一般市民レベルでも、法的な妻のほか、妾(パッラケ)を置くことは広く容認されていた。妾には妻と同等の権利はなかったが、別居していれば問題視されず、経済力があれば妻と妾の両方を養うことができたのである。

国家は安定した婚姻を奨励した。人口増は兵士と納税者の確保に直結するからだ。妻を家の内部に閉じ込めることで、正当な子供を産ませやすくする狙いもあった。ローマでも多産を奨励する家族政策がとられたのは同じ理由による。

しかし実態として、アテナイ人の男性は妻、妾、娼婦、奴隷、そして美少年と、多様な性的関係を同時に持つことができた。妻が不満を漏らしても取り合ってもらえなかった。レムノス島の女たちがトラキア人捕虜に夢中になった夫たちを殺したという話(紀元前3世紀の文学作品)は、まさに男性優位の社会における「夢物語」に過ぎなかった。

哲学者たち(キリスト教以前から)が「結婚は相互の支援と尊重、そして忠誠に基づくべきだ」と説き始めるのは、ずっと後のことになる。

「現行犯」なら殺害も合法――誘惑者への苛烈な制裁

長きにわたり問題とされたのは、もっぱら妻の貞操と、裏切られた夫の権利だった。アテナイでは、ドラコン法典(紀元前7世紀)からデモステネスの時代(紀元前4世紀)にかけて、不倫の相手(誘惑者)に対する最も重い刑罰は「正当防衛殺人」とされた。現行犯で捕らえた場合、ナイフを使わなければ殺しても罪に問われなかったのだ。

イソップ(紀元前6世紀)は、妻の不倫相手があまりに美少年だったため、夫までもが誘われてしまうという皮肉な寓話を残しているが、誘惑者殺害の権利は現実に行使されていた。

有名なのが、弁論家リュシアスの『エラトステネス殺害弁護』(紀元前5~4世紀)に見られるエウピレトスの裁判だ。羊飼いのエウピレトスは、妻を誘惑したエラトステネスを自宅で現行犯として捕らえ、仲間を証人として呼んだうえで縛り上げ、法の名のもとに制裁を加えた。被告は金銭で赦しを乞うたが、エウピレトスは「法を軽んじ、快楽を優先したお前に情けはない」と突き放す。

ただし、この事例には疑問も残る。エウピレトスは衝動的に殺したのではなく、罠を仕掛け、計画的に相手を自宅に誘い込んでいた。殺す義務はなく、赦免金を受け取る「穏当な解決」も可能だった。喜劇作家カリアス(紀元前5世紀)が「不倫男を家に入れろ、金になるぞ」と皮肉った通り、金銭和解は「不名誉だが得策」と見なされていたのである。

死刑と和解の間――辱めの刑「ラディシュと灰」

死刑と和解の中間には、肉体的苦痛と社会的抹殺を狙った「辱めの刑」があった。詩人アナクレオン(紀元前6~5世紀)によれば、不倫男は頭髪と髭をむしり取られ、陰毛を熱い灰で焼き切られ、さらに大根や「スコーピオン(カサゴ科の毒棘を持つ魚)」を肛門に挿入されたという。一部の研究者は「スコーピオンの棘では生存不能であり、大根が誤伝された可能性がある」と指摘するが、アリストファネスの喜劇『雲』でも「尻に大根を突っ込まれ灰を擦り込まれた」と嘆く台詞があり、この刑罰が「社会的死」を意味することだけは確実だ。

神話と現実の落差――ヘーパイストスの寛容

もっとも有名な不倫神話――アプロディーテとアレースが夫ヘーパイストスの罠にかかり、オリュンポスの神々の前で晒し者になる話――では、二人は無傷で去り、ヘーパイストスは海神ポセイドンから賠償金を受け取るだけで済む。神々の世界では「公開の恥」で決着がついたのだ。

地上のアテナイでは、不倫した妻は夫によって実家へ送り返され、離婚が成立した。それだけでなく、不倫女は宗教儀式への参加を禁じられ、外出の機会をほぼ失った。「不倫女を妻に持つ」ことは家族の大恥であり、アテナイ人男性が劇場から帰ると真っ先に家中を探し回って愛人を探す、というジョークまで生まれたほどだ。

なぜそれほど不倫が横行したのか

イソップのもう一つの寓話では、犬の真似をして恋人の家に通う男の話が出てくる。本物の犬(=夫)が現れると、偽物の男は「もっと大きな犬がいる」と逃げ出す。夫が劇場通いに夢中になっている隙に、妻は他の男と遊んでいたのだ。

ではなぜ古代ギリシャで不倫がこれほど常態化していたのか。夫が妻を顧みなかったからか、それとも妻が夫に満足しなかったからか。ソロン(紀元前7~6世紀)の法典には「夫は最低でも月に3回、妻と性交渉を持たなければならない」という条項があった。この規定が存在したこと自体、夫が妻のもとへ行くのを怠りがちで、他に「選択肢」が山ほどあった証左だ。クセノポンが記す通り、妻は「子の母であり事業パートナー」であって、会話相手としては「妻より話が合わない人間はいない」と思われていたのである。

参考文献

  1. アイスキネス「誘惑者の策略」『古代ギリシャ短編小説集』ロムアルド・トゥラシェヴィチ編、オッソリネウム、2005年。
  2. ロドスのアポロニオス「レムノスの女たち」同上。
  3. イソップ「夫と雌犬」同上。
  4. 『ヘラスとローマ』イレナ・クロンスカ編、共通知識社、1958年。
  5. ホメロス「ヘーパイストスの復讐」『古代ギリシャ短編小説集』同上。
  6. マチェイ・ヨンカ「古典期アテナイ社会と法における不倫(モイケイア)」『Contra leges et bonos mores. 古代ギリシャ・ローマにおける道徳犯罪』UMCS出版、2005年。
  7. コンスタンティノス・カッパリス「不倫男の辱め:古典期アテナイにおける法と実践」『Revue internationale des droits de l'antiquité』第43号、1996年。
  8. クセノポン『エコノミコス』ミシェル・フーコー『性の歴史』所収、言葉・イメージ・領土出版、2010年。
  9. ディオゲネス・ラエルティオス『著名哲学者たちの生涯と学説』イレナ・クロンスカほか編、日本学術振興会、2006年。
  10. リュシアス「エラトステネス殺害弁護」リディア・ウィンニチュク編『古代世界の女たち』岩波書店、1973年。
  11. ロンゴス「裏切られた夫は殺人者」『古代ギリシャ短編小説集』同上。
  12. ノンノス「運命の人物」同上。
  13. プルタルコス「エロース対話」『モラリア選集』ゾフィア・アブラモヴィチョワ編、日本学術振興会、1977年。