クリスマス商戦の主役、鯉
クリスマスを目前に控えた時期のポーランドでは、どこを見てもボルシチ、クリスマスツリー、そして鯉の広告が目に飛び込んでくる。もはや鯉はクリスマスイブの象徴のように扱われているが、マーケターたちが長年押し付けてきたイメージとは裏腹に、クリスマスイブに鯉を食べる習慣は、実はごく最近生まれたものなのである。
今ではポーランドのクリスマスの伝統に深く根付き、「おばあちゃんの味」として欠かせないと思われている鯉だが、本来の意味での伝統とは、まったく無縁だったのだ。
「王鯉」は19世紀の品種
今日のポーランドのクリスマスイブの食卓に君臨する王者は「王鯉(ロイヤル・カープ)」。しかしこの人気品種が作出されたのは、19世紀に入ってからのことである。
第二次世界大戦以前にも、多くのキリスト教徒の家庭で鯉は食べられていた。ただし鯉は、主としてユダヤ料理と結びついた魚だった。祝日の食卓にはサンダー(ヨーロッパパーチ)やカワカマス(パイク)が並び、貧しい家庭では小さなスメルト(ワカサギの仲間)など、さまざまな魚が工夫を凝らして調理された。では、鯉もその頃から食卓に登場していたのだろうか?
マリア・グルシェツカが1930年に出版した名著『365のディナー 実践料理本』では、確かに鯉がクリスマスイブの料理として言及されている(ヴシュカ入りのボルシチ、アーモンドスープ、フィッシュパティ、栗入りケール、クルトン添えのグリーンピース、カワカマスのロースト、卵添えサンダー、プラム入りダンプリング、揚げダンプリング、ケシの実プディング、ショードン・プディング、パイなどとともに)。しかしその中で鯉は、決して主役ではなかった。
要するに、戦前のクリスマスイブにおいて鯉は数ある料理のひとつにすぎず、同時にいくつも出されるクリスマスの魚のうちの一尾であって、唯一の魚ではなかったのである。

鯉、1946年の写真(写真:Bundesarchiv, Bild 183-19000-0213、CC-BY-SA 3.0ライセンス)
当時いちばん一般的だったのは「ポーランド風鯉」と呼ばれる調理法だった。すりおろしたジンジャーブレッド、ビール、レーズン、そしてほんの少しの蜂蜜が効いた、やや甘みのあるソース仕立てである。
鯉の「脱共産化」を!
鯉に衣をつけて揚げたり、一晩の夕食に何通りもの調理法で出したりするのは、戦後に流行したやり方だ。つまり、昨今流行りの「脱共産化」をクリスマスイブの献立に適用するなら、鯉はまず守り切れないだろう。その普及の陰には、PZPR(ポーランド統一労働者党)の熱心な活動家にして中央委員会委員、エコノミストであり経済大臣でもあったヒラリー・ミンツの存在がある。
彼は1944年12月1日に経済相の座に就き、1949年までその職にあった。当時のポーランドは戦争で完全に荒廃し、ようやく立ち上がろうとしている最中だった。ミンツは鯉をプロパガンダの道具として活用することにした。鯉は比較的簡単に養殖でき、漁獲に大船団を必要とせず、何より安価だったからだ。

驚くべき機転、美味しい料理、唯一無二の味。戦前ポーランドの女性たちの歴史を綴った、オラ・ザプルトコ=ヤニツカ著『台所から見た二十年』をぜひ手に取ってみてほしい。
当時の状況では、多彩な魚をポーランド中の食卓へ届けることは不可能だった。ポーランドの海と内水面の漁業流通を担っていた国営企業体「中央水産公社(Centrala Rybna)」には、クリスマス前に戦前のような伝統的な品揃えを国民に提供することができなかったのだ。
厳しい戦時中・戦後の時代を経験する前、私たちの祖父母たちは好んで魚を食べていた。クリスマスに鯉、それ以外の季節はサバとニシンだけ、という生活ではなかったのだ!当時の料理本は、海の魚も淡水魚も実に多彩なレシピで満ちあふれている。クリスマスイブの献立だけを見ても、12月24日に供されたら現代なら「贅沢すぎる」と思われるような魚種がずらりと並んでいる。
戦間期に最も多作で著名な料理人の一人であり、雑誌『ブリュシュチュ』に常連執筆者として名を連ねたエルジュビエタ・キエヴナルスカは、クリスマスイブのレシピと祝祭ディナーの献立を、家計の規模別にまとめた小冊子を作成した。その中で最も質素なクリスマスイブの献立には、鯉は一度も登場しない。代わりにニシン、サンダー、フナが並ぶ。

1926年、パリのポーランド大使館でクリスマスツリーの下に集うクリスマスイブの参加者たち。当時は鯉を何通りもの調理法で夕食に出すようなことはなかった(写真:パブリックドメイン)
質素なクリスマスイブの献立4つのうち、鯉が登場するのはわずか2回(一度はフライ、一度はソース煮)。それ以外には、サンダーのフライ、ゼリー寄せブリーム、レモン添えヴェンダースのフライ、タマネギソースのテンチ、詰め物をした燻製ニシン、ラフ(パーチ科の小魚)、カワカマス、ブリームのローストなどが並ぶ。より豪華なクリスマスイブとなれば、さらに多くの魚種が加わり(前述の魚に加えてサーモン、ニシン料理各種、ウナギ、ロット(ドンコの仲間)、イワシ、パーチ)、実に賑やかなものであった。
復興の続く困難な時代に運営されていた「中央水産公社」には、そんな多様さを提供することなど到底できなかった。その不足をどうにか埋め合わせしようと、「クリスマスには鯉が手に入る」という触れ込みが大々的に宣伝され、人々は「少なくとも鯉だけはある」と喜んだ。さらに職場では、ボーナスの代わりに……鯉が配られたのである。
こうして今日、鯉はポーランドで水揚げされる淡水魚全体の半分を占めるまでになった。だからこそ忘れてはならない。クリスマスイブの食卓にあまり典型的でない魚種を届けようとする人々は、古いポーランドの慣習である「この日に鯉を出す」という伝統を損なっているのではなく、むしろ本当のポーランドの伝統を取り戻しているのだ。
出典
本記事は、著者が『台所から見た二十年――戦前ポーランドの食の歴史』の執筆時に用いた資料・文献、および当時の料理本や定期刊行物に記載された情報に基づいている。