1月7日――グレゴリオ暦より13日遅れのユリウス暦に従い、正教会の信者たちはクリスマスを祝います。聖ワシリイの典礼が捧げられ、家庭には飾り付けられたクリスマスツリーが置かれます。実はこの習慣がロシアに根付いたのは、わずか200年ほど前のこと。そしてその始まりは、なんとツァーリの宮廷だったのです。
クリスマスツリーを飾る習慣は、ドイツからロシアにもたらされました。最初のクリスマスツリーが登場したのは1817年のクリスマス、当時アレクサンドラ・フョードロヴナ大公妃とその夫――後の皇帝ニコライ1世――が暮らしていたクレムリン宮殿でのことです。興味深いことに、帝政時代のロシアでは、クリスマスはグレゴリオ暦に従って祝われていました。
アレクサンドラ・フョードロヴナはプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の娘です。彼女は故郷プロイセンで古くから行われていたこの伝統をロシアに移そうと決意しました。この習慣の起源は、「ドイツの使徒」と呼ばれる聖ボニファティウスにあるとされています。
聖ボニファティウスは宣教師として、異教徒たちにイエス・キリストとその奇跡について説いて回りました。異教の神々の無力さを証明するため、彼は嵐と雷の神トールに捧げられた巨大なオークの木を切り倒します。倒れたオークは周囲の木々をもなぎ倒しましたが、ただ一本、モミの木だけは無事に残りました。ボニファティウスはそれを「新しく生まれたキリストの木」と呼んだのです。
やがてドイツの家庭でもクリスマスにモミの木を飾るようになりました。とはいえ当初は飾り付けはせず、美しく香り高い針葉樹そのものが十分な装飾だと考えられていました。ツリーへの装飾が始まったのは、宗教改革以降のことです。
全員への贈り物
ツリーを飾る習慣は、たちまちツァーリ家に定着しました。クリスマスイブ、午後5時~6時頃から始まる徹夜祷(終夜の礼拝)を終えた後、ツリーが飾り付けられます。式典には廷臣たちも招かれました。驚くべきことに、ニコライ1世とアレクサンドラ・フョードロヴナの子どもたち(皇帝の甥や姪も含めて)一人ひとりに、専用のクリスマスツリーが用意されていたのです。
もちろん贈り物の準備も欠かせません。ニコライ1世は自ら店を訪れ、幼い子どもたちへの贈り物――菓子、玩具、本、衣服――を選びました。男の子には兵隊人形、サーベル、軍服など軍隊に関連した品が贈られることが多く、皇女オリガは念願のピアノを手に入れたといいます。贈り物はツリーの下ではなく、各ツリーのそばに置かれた特別なテーブルの上に並べられました。子どもたちはそれを見ることを許されず、万が一に備えて贈り物の部屋の扉には鍵がかけられていたそうです。
ニコライ1世は子どもたちへの贈り物を自ら購入していた。
いよいよその瞬間が訪れると、アレクサンドラが合図を送ります。彼女は一人ひとりの子どもを自分のテーブルへと導き、贈り物を手渡しました。その後、今度は子どもたちが両親に贈り物をします。ニコライ1世は店で買った贈り物を好まなかったため、子どもたちは心を込めた手作りの品を贈ったのです。
こうした伝統は歴代の皇帝たちにも受け継がれました。ただし、テロの脅威が高まった時代になると、アレクサンドル2世、アレクサンドル3世、ニコライ2世は自ら買い物に出ることを控え、店舗のカタログを使って贈り物を注文するようになりました。
魔法のようなクリスマス
ドイツ出身の皇妃が導入したクリスマスの儀礼は、貴族階級の家庭にもすぐに広まりました。一方、庶民たちは昔ながらのやり方でお祝いをしていました。クリスマスイブの夕食は40日間に及ぶ断食の終わりを意味するため、この日の食卓は格別に豪華で豊かなものでした。主婦たちは子豚の丸焼きをはじめ、数々のご馳走をテーブルに並べました。
キリスト生誕の夜には、亡くなった親しい人々の魂が家を訪れると信じられていたため、夕食後の片付けは行われませんでした。そもそもクリスマスの日、食卓が空になることはありません。料理があふれるほど並ぶことは、翌年の金運につながると考えられていたのです。
写真:ハインリヒ・アントン・デーリング/パブリックドメイン クリスマスの習慣はプロイセンの宮廷からロシアへ伝わった。
この時期は「魔法の時期」とみなされていました。人の世界が超自然的な存在に最も近づくと信じられていたのです。人々は空を見上げ、星が多ければ翌年はキノコやベリーが豊作になると予測しました。未婚の女性たちは、クリスマスイブに行う占いが平穏で幸せな家庭生活をもたらすと信じて占いに励みました。最も人気があったのは鏡と蝋燭を使った占いで、鏡の中に未来の配偶者が映し出されるといわれました。また、枕の下に櫛を入れて眠れば、夢の中で婚約者が花嫁の長い髪を梳いてくれるとも信じられていました。
家庭的な雰囲気
ポーランドでは、ほとんどの正教会の教区がユリウス暦に従ってクリスマスを祝いますが、グレゴリオ暦を採用している共同体もあります。東方キリスト教の信徒が最も多く住むのはポドラーシェ地方です。夕方、礼拝が終わると、彼らの欠かせない持ち物である「星」を掲げたキャロル(賛美歌)の歌い手たちが街へ繰り出します。ほぼすべての教区でキャロル隊が組織されており、カトリック信者と同じように、正教徒たちもホームレスや孤独な人々のためのクリスマスディナーを開催しています。
参考文献:
- Зимин И., Повседневная жизнь Российского Императорского двора. Москва, 2010
- Пономарева B., Зимние праздники в доме Романовых, https://www.culture.ru/materials/75429/zimnie-prazdniki-v-dome-romanovykh
- Пономарева B., Святки и колядки. https://www.culture.ru/materials/76278/svyatki-i-kolyadki