歴史物語

バーバ・ヤーガは実在した――夜も眠れなくなる「バルセロナの吸血鬼」の物語

血まみれの子供服が詰め込まれた袋、肉屋用の包丁、壁の陰に隠された骨片。粘土の壺やボウルには死体の断片や臓器――保存されたものもあれば、凝固した血の中に浮かんでいるものさえありました。1912年にバルセロナで発見されたこの遺品群は、現代のグロテスクなホラー映画すら凌駕するものでした。

しかも、これで終わりではありません。人間の脂肪から作られたラード、赤ん坊の髪の毛、販売用に調合された薬瓶や軟膏の数々、さらには古い書物や処方箋が書き込まれたノートまで発見されています。

この恐るべき発見は、社会から隔絶した小屋に住む邪悪な魔女の伝説のように聞こえるかもしれません。しかし実際には、この「武器庫」は20世紀――はるか中世ではなく――の、貧しく人口過密なラバル地区の普通の長屋の一室に存在していたのです。

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エンリケタ・マルティ・イ・リポジェス。バルセロナのバーバ・ヤーガその人です。

彼女は43歳の、かなり魅力的な女性で、報道機関から「バルセロナの吸血鬼」と呼ばれていました。しかし、むしろ「血のビジネスウーマン」と呼ぶべきでしょう。彼女はスペイン社会の富裕層の需要に応える、儲かる商売を営んでいたのです。

売春、魔術、そして幼児搾取

エンリケタ・マルティ・イ・リポジェスは1868年、カタルーニャ南部の海沿いの町サン・フェリウ・デ・ロブレガートに生まれました。少女時代は子守りをしていましたが、すぐに「世界最古の職業」で頭角を現します。風俗店で働くこともあれば、需要のある場所ならどこへでも出向きました。

27歳のとき、画家のジョアン・プハローと結婚しましたが、結婚生活はエンリケタの不貞と気まぐれさによって崩壊しました。夫ジョアンの告白によれば、彼女は男好きが過ぎて、夫の嫌う場所へしきりに出かけていたといいます。

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美しく穏やかな街、バルセロナ。しかしそれは、すべて見せかけに過ぎませんでした。

実際のところ、エンリケタがいつこの悪魔的な商売を思いついたのかは定かではありません。彼女は子供の斡旋(児童売春)、黒魔術、治療業を同時に手掛けるようになりました。複数の資料によれば、彼女は上流社会の人々と取引を交わし、彼らに巧みに庇護されていたことが確認されています。

1909年、バルセロナで社会的・政治的な緊張が爆発し、いわゆる「悲劇の一週間」が起こりました。このときエンリケタは、3歳から14歳の子供たちを監禁する売春宿を経営していた容疑で拘束されます。警察の手入れの際には、非常に影響力のある家柄出身の若い男の客も一緒に連行されました。しかしエンリケタが裁判に立たされることはなく、事件の記録は不可解なほどに消失してしまったのです。

お節介な隣人の通報

二度目となったとき、バルセロナの魔女はそうはいきませんでした。1912年2月27日、ポネント通り(現在のホアキム・コスタ通り)29号室の窓に、頭を丸めた少女の姿を目撃した隣人が、エンリケタを密告したのです。

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リポジェスの家で保護された直後のテレシータ・ギタルト。

当時、地区全体でテレシータ・ギタルト――人望は厚いものの貧しい家庭の娘――の捜索が行われていました。隣人は地元のマットレス商人にこのことを話し、商人はただちに警察へ向かいました。

警察が部屋に入った(口実は……鶏を飼っている疑い)ところ、最初はエンリケタの娘だと偽る二人の少女が見つかりました。しかし間もなく二人は嘘を認めます。そのうちの一人こそが行方不明になっていたテレシータで、彼女は誘拐犯との出会いについて警察に語りました。サン・ビセンス通りで声をかけられた彼女は、まるでおとぎ話のように――飴で誘惑され、コートの下に隠されて連れ去られたのだといいます。

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バルセロナのバーバ・ヤーガの手から救い出されたもう一人の少女、アンヒェリータ。

部屋の中でテレシータは髪を切られ、「フェリシダー」という新しい名前を与えられていました。彼女は身体的虐待を受け、ジャガイモと古いパンだけを与えられ、飢えていました。少女たちはさらに、「ペピート」という名の少年も一緒だったと証言しています。もう一人の「アンヒェリータ」は偶然にも、その少年が台所のテーブルで解体されたのではないかと疑いました。そして「ベッドに戻り、眠ったふりをした」と証言しているのです。

国王も血を飲んでいた?

エンリケタは裁判にかけられましたが、殺人罪で起訴されることはありませんでした。誘拐、公文書偽造――それだけです。証拠不十分とされ、すべて推測に基づくものだという判断でした。しかし、証言の内容は衝撃的でした。ある証言によれば、「バルセロナの吸血鬼」は次のような行為を行っていたといいます。

幼児や乳児を誘拐しては殺害し、その遺体を使って秘薬を作り、大金と引き換えに裕福な町の人々に売りつけていた。無防備な犠牲者たちの血液、脂肪、髪、骨は、結核を治癒する力を持つとされる滋養強壮剤、塗布剤、湿布の原料となっていたのだ。

しかも標的は結核だけではありません。性病の「治療」や老化防止にも使われていたといいます。検事は、あまりに重要な人物が事件に関与していることを恐れ、できれば法廷に引きずり出したくないと考えていました。犯罪の触手は本当に高いところまで伸びており、アルフォンソ13世国王自身までもが、エンリケタから血液製剤を購入し、謎の病の治療薬として飲んでいたとされるのです。

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一方、後にユネスコの協力者となる著名な民俗学者・人類学者のジョアン・アマデスも、「バルセロナの吸血鬼」から人骨を入手していたといいます。男爵、医師、弁護士、商人、政治家、高官、文化人――エンリケタの顧客には、スペイン社会のまさに精鋭が名を連ねていました。

署名やイニシャル入りの暗号化された怪文書と、名前のリストが発見されました。遺体の一部を鑑定するために呼ばれた法医学の専門家たちが、すぐに「これは明らかに動物の骨だ」と結論づけたとしても、決して不思議ではありません。その一方で、報道機関はこう書き立てました。

骨は野蛮な犯罪を裏付け、軟膏や薬は中世的な迷信の証拠である。

タイタニックとともに沈んだ事件

1912年4月初旬は、「バルセロナの吸血鬼」事件をもみ消すには絶好のタイミングでした。タイタニック号が沈没しようとしており、世界中の注目がアメリカへと向けられていたのです。権力者や富裕層は、ほっと胸をなでおろしました。

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アルフォンソ13世国王自身も、エンリケタの「サービス」を利用していたとされます。

では、エンリケタはどうなったのでしょう? 彼女の刑はわずか11ヶ月の懲役でした。そして1913年5月12日、刑務所の中庭の一つで死体となって発見されます。彼女は残忍に殴られていましたが、新聞は子宮癌が死因だと報じました。あまりに多くの人々が、彼女の永久的な沈黙を望んでいたのです。

連続殺人犯における精神病的傾向と犯罪の性的側面を扱った記事には、科学がこれまでに確認した事例はわずか2件だと記されています。一人目は、映画『モンスター』でシャーリーズ・セロンが見事に演じたアイリーン・ウォーノス。そしてもう一人が、エンリケタなのです。

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エンリケタは知りすぎていたため、死なねばならなかったのです。逮捕直後の写真。

発見された遺体の断片に基づく確定被害者数は、捜査当局により12人と見積もられました。しかし、彼女が長年にわたり殺人を重ねていたことを考えれば、その犠牲者は数百人に上る可能性もあります。