歴史物語

デルフィーヌ・ラローリーの幽霊屋敷――1834年の火災が暴いたニューオーリンズの闇

1834年、ニューオーリンズの豪華な邸宅で火災が発生した。炎が明るみに出したのは、デルフィーヌ・ラローリーが犯した恐るべき罪の真相だった。

彼女はアメリカ史上最も残酷な女性の一人として歴史に名を刻んだ。その血なまぐさい伝説が生まれたのは、1834年4月のことである。ニューオーリンズの高級住宅地にある一軒の邸宅から火の手が上がった。その原因と顛末は、街の人々を震撼させるおぞましい発見へとつながっていく。

このスキャンダルの中心人物は、1787年3月19日にデルフィーヌ・マッカーティーとして生を受けた。市長を輩出したこともあるニューオーリンズ屈指の名家の出身であり、その出自と美貌はたちまち結婚を望む男性たちの注目を集めた。しかしデルフィーヌは、想いを寄せる男たちに不運をもたらす女性だったのである。

裕福な未亡人

30歳を迎える前に、彼女は二度未亡人となっている。しかもいずれも謎めいた状況下での死だった。最初の結婚は13歳で、相手は高位のスペイン人将校ドン・ラモン・デ・ロペス・イ・アングロだった。結婚生活は4年足らずで終焉を迎える。ラモンは不可解な死を遂げたのだ。デルフィーヌが第一子となる娘を妊娠中、マドリードへ向かう途上でのことであった。

しかし彼女は長く未亡人のままではいられなかった。早くも1808年には、銀行家・弁護士・商人として成功を収めていたジャン・ブランクと再婚している。夫妻の間には四人の子どもが生まれた。だがここでも幸せな結末は訪れなかった。結婚から8年後、ジャンはこの世を去り、デルフィーヌは裕福で社交界に名高い未亡人として残された。

デルフィーヌ・ラローリーの幽霊屋敷――1834年の火災が暴いたニューオーリンズの闇

デルフィーヌ・ラローリーは、アメリカ史上最も残酷な女性の一人として歴史に名を刻んだ

三人目の夫となったのは、二人目の夫の死から9年後、はるかに年下の医師レナード・ラローリーである。1831年、夫妻はロイヤル通り1140番地の壮麗な邸宅へ移り住んだ。屋敷を切り盛りしていたのは専らラローリー夫人だった。夫妻は社交界で一目置かれる存在だったが、夫婦仲は決して円満ではなかった。最終的にデルフィーヌは、夫からの虐待を理由に法的別居を申請した。これは前の結婚で生まれた三人の子どもたちによって裏付けられたとされる。

裁判官の裁定により、デルフィーヌはロイヤル通り1140番地の邸宅にひとり残された。しかし街では「寝室と居室の分離を求めたものの、夫はかつての我が家を頻繁に訪れていた」という噂が囁かれていた。だが、ニューオーリンズの街角で語られるラローリー夫人の噂は、これだけではなかった。

手厳しい女

デルフィーヌが邸宅にひとりで暮らしていたわけではない。当時のアメリカ南部らしく、屋敷の使用人は奴隷たちだった。そして彼らへの扱いこそが、たちまち芳しくない噂を呼ぶことになった。この地方では使用人への厳しい仕打ちは珍しくなかったが、彼女の手法はさすがに非難を浴びた。その例がこれだ。ある未成年の奴隷は、デルフィーヌの怒りと鞭に直面するくらいなら、屋根から飛び降りる道を選んだという。

やがて法当局もラローリー家の件に目を向け始めた。しかし第一次調査では不正は発見されなかった。公の場でデルフィーヌは、黒人奴隷に丁重に接する女性というイメージを守ろうとした。彼らの健康を気遣い、解放のために尽力したとも言われる。実際、二人については自ら自由の身にしたという。それでも、街に流れる噂を沈黙させることはできなかった。

デルフィーヌ・ラローリーの幽霊屋敷――1834年の火災が暴いたニューオーリンズの闇

公の場でデルフィーヌは、黒人奴隷に丁重に接する女性というイメージを保とうとした

ロイヤル通り1140番地の近隣住民は、ラローリー家から聞こえる不穏な物音を訴えていた。ひそかに目撃されたデルフィーヌの奴隷たちは、極端に痩せ衰えているはずだと言われた。こうした証言の数々が、再び彼女に対する訴訟へとつながった。その結果、ラローリーは違法な虐待の罪で有罪となり、9人の奴隷を引き渡すことを強いられた。彼らは親族が買い戻し、ほどなくして……ふたたび邸宅へと戻ってきた。ところが間もなく、ある出来事がニューオーリンズを揺るがし、デルフィーヌを史上最も残酷な女性の一人へと変えてしまう。

恐怖の館

1834年4月10日、ロイヤル通り1140番地の屋敷で火災が発生した。出火元は邸宅の台所だった。駆けつけた消防士たちが見つけたのは、ストーブに鎖で繋がれた70歳の老料理人だった。放火したのは彼女自身、自殺を図ったのである。上の階の部屋で不行儀を働いた者に待ち受ける残虐な仕打ちから逃れるために。あの部屋から戻ってきた者は、誰ひとりいなかったのだ……

デルフィーヌ・ラローリーの幽霊屋敷――1834年の火災が暴いたニューオーリンズの闇

1834年4月10日、ロイヤル通り1140番地の屋敷で火災が発生した

だが、これでラローリー夫人の邸宅から明らかになった恐ろしい事実は終わりではなかった。炎に呑まれゆく家の持ち主は、奴隷の救出に向かおうとする者すべてに鍵を渡すことを拒んだという。志願者たちはついに敷地内へ押し入った。そこで目にしたのは、壁に鎖で繋がれた七人の傷ついた奴隷たちだった。彼らは数週間にわたり監禁されていたといい、その間、容赦のない拷問を受けていた。四肢の切断、頭部の傷、鞭打ちによって裂けた皮膚——その姿は限界を超えて消耗しきっていた。中には、頭部を固定するためにとげ付きの首輪を着けさせられた者さえいたのである。

生存者たちは地元の刑務所へ搬送された。ラローリー夫人の残虐性の度合いを世に示すべく、彼らは公開展示された。4月12日までに、実に4000人もの人々がその姿を見物したという。

伝説の誕生

ロイヤル通り1140番地で何が行われていたのかという知らせは、町の人々を邸宅への襲撃へと駆り立てた。しかし加害者は捕らえられなかった。デルフィーヌはパリへ逃亡し、身を潜めるように余生を過ごした。1849年、62歳でこの世を去った。犯した罪の報いを受けることは、ついに一度もなかったのである。

デルフィーヌ・ラローリーの幽霊屋敷――1834年の火災が暴いたニューオーリンズの闇

デルフィーヌ・ラローリーが用いた手段のひとつが、鞭打ちだった

だが、それでラローリー夫人の物語が幕を閉じたわけではない。その伝説はニューオーリンズの街角で生き続け、語り継がれるうちに層を重ねて膨らんでいった。ロイヤル通り1140番地の邸宅は嵐と火災によって破壊されたが、長い歳月を経て再建された。以来、学校から高級マンションまで、時代ごとにさまざまな用途で使われてきた。一時期は俳優ニコラス・ケイジの手に渡っていたこともある。

この家はまた、地元の民間伝承にも深く根を下ろした。ニューオーリンズで最も心霊現象が多いとされる場所を巡るツアーの定番コースに組み込まれている。デルフィーヌ・ラローリーの人物像は今なお多くの芸術家にインスピレーションを与え続け、書籍、映画、テレビシリーズに登場する。その行為は現在、誇張や脚色が加えられているとはいえ、デルフィーヌの残虐行為の真実は、今なお彼女を人類史上最も無慈悲な女性たちの列に連ねているのである。