歴史物語

独裁政権下のポーランドから脱出する方法――命がけの7つのルート

鉄のカーテンを突き破った人々の知恵と勇気

ポーランド人民共和国(PRL)の時代、数百万ものポーランド人が西側への亡命を試みた。厳重な国境警備とパスポート規制にもかかわらず、歴史学者ダリウシュ・ストワの推計によれば、1949年から1989年の間に200万人以上が永久にポーランドを離れた。さらに数百万が一時的な合法・非合法の渡航を繰り返した。ヤロスワフ・モレンダ著『何としても逃げ出せ PRLからの著名な亡命者と移民たち』は、自由を求めて命を賭けた人々の驚くべき手口を記録している。

1. パイロットになる――空からの脱出

航空資格を持つことは、脱出の強力な切り札だった。特に軍用機へのアクセスがある場合だ。

1953年3月5日、スターリンの死の日。第28戦闘航空連隊所属のフランチシェク・ヤレツキ少尉は、MiG-15bisで編隊飛行中に雲の中へ紛れ、デンマーク領ボーンホルム島へ向かった。ソ連機8機が追撃し、機関銃で自決を覚悟する瞬間もあったが、卓越した操縦で着陸に成功。「パイロットになれ」ではなく「卓越したパイロットになれ」と言うべきかもしれない。

2. 製作者になる――自作機で飛ぶ

軍人パイロットの道が閉ざされていても、空への夢を諦めない者がいた。エウゲニウシュ・ピエンジャゼクは、アパートの一室で自作機「ククウカ」の骨組みを組み上げ、飛行クラブの格納庫で完成させた。1971年9月13日、ビエルスコ・ビャワからクロスノへの飛行計画を装い、チェコスロバキアとハンガリー上空を3時間飛行、悪天候とオイル圧低下でユーゴスラビアのスボティツァに不時着。数ヶ月の投獄の後、オーストリア経由でスウェーデンへ渡った。

3. テロリストになる――ハイジャックという選択

1981年9月18日、カトヴィツェとティヒ出身の12人の若者が、カトヴィツェ発ワルシャワ行きの国内線をカミソリの刃でハイジャックし、ベルリン・テンペルホフ空港へ着陸させた。西側への到達は果たしたが、西ドイツで即座に投獄された。1970年代から80年代にかけ、ポーランドは世界有数の航空機ハイジャック多発国となり、LOTポーランド航空は「Landing On Tempelhof(テンペルホフに着陸)」と揶揄される存在だった。

4. 船員になる――バルト海の「青い国境」

漁船やヨットでの脱出も試みられた。1950年代は特に厳しく、シュチェチン近郊のダンビェ湖からシュチェチン湖への短いクルーズでも国境検査を受け、ヨットの隅々まで捜索された。そんな中、1951年8月1日、掃海艇「ジュラフ」の乗組員16人が武器庫から銃を奪い、士官を拘束してスウェーデンのイスタードへ。12人が亡命を選んだが、残された仲間と士官たちは過酷な取り調べと人生を強いられた。

5. 並外れた勇気を持つ子どもになる

15歳のアダムと12歳のクシシュトフ・ジェリンスキ兄弟は、母親の署名を偽造して学童貯金を引き出し、夜中に家を抜け出した。ワルシャワ・オケンツェ空港の厳戒態勢を見てシュヴィノウイシチェへ向かい、トラックのアクスル下に26時間隠れて国境を越えた。犬に嗅ぎ取られないようグリスを塗りたくる知恵も働かせた。スウェーデンで保護された二人の物語は、1989年映画『天国まで300マイル』の原作となった。

6. アスリートや芸術家になる――「特権」を利用する

スポーツ選手や芸術家は海外渡航が許される「特権階級」だったが、随行する保安機関員の監視は厳しかった。ミラ・ジミンスカ・シギェティンスカの回想によれば、バスから降りる際も列を作らされ、監視員の間を通らされたという。それでも1970年代、スピードウェイ選手のタデウシュ・テオドロヴィチはオランダ遠征中、映画上映中の161分間で映画館を抜け出し、警察署へ駆け込んで亡命を申請した。

7. 目を凝らし、チャンスを掴む

1960年代〜70年代、ビトム・ボブレク地区の住民たちは、チョルズフの「パヴェウ・フィンデル」窒素工場ビトム支社から西欧へ輸出されるカルビド樽の貨車に潜り込む方法を見出した。モレンダが指摘するように、「何が、どこへ、いつ運ばれるか」を観察し、隙を見極めることこそが、自由への切符になることもあった。ロサンゼルス五輪金メダリストのヴワディスワフ・コザキェヴィチも、1984年に亡命の道を選んでいる。

参考文献

  1. Jarosław Molenda, Uciecż za wszelką cenę. Słynni uciekinierzy i emigranci z PRL, Bellona 2017.
  2. Dariusz Stola, Kraj bez wyjścia? Migracje z Polski 1949–1989, IPN 2010.
  3. Sebastian Pilarski, „Odmówił powrotu do kraju”: piłkarze z PRL uciekali na Zachód, „Pamięć i Sprawiedliwość” nr 2 (24) / 2014.
  4. Mira Zimińska-Sygietyńska, Druga miłość mojego życia, Wydawictwo Sztuki i Film 1990.
  5. Franciszek Jarecki – śmiała ucieczka z PRL, wywiad, PolskieRadio.pl, 5.03.2015.
  6. „300 mil do nieba” – jak to naprawdę było, opowiada Krzysztof Zieliński, audycja „Godzina Prawdy”, Trójka, PolskieRadio.pl, 22.02.2013.