歴史物語

「勇敢王」ボレスワフ1世の最も奇妙な王冠――ポーランド国王はなぜ羽飾りの頭飾りを着けていたのか?

イングランド王は教皇自身の勧めで頭に羽飾りを着け、ビザンツ帝国の皇后たち、さらにはユスティニアヌス大帝までもがそれを誇示していた。ポーランド史上最も有名な君主の一人にも、独自の頭飾りがあった。しかも、それは決して無価値な小道具などではなかったのだ。

出発点となるのは、「勇敢王」ことボレスワフ1世のデナリウス銀貨の一つである。貨幣学者たちは、銘文からこれを「DVX INCLITVS(輝かしき公)」と呼んでいる。この銀貨には、ポーランドの統治者が頭飾りを着けた姿が描かれている。これは、当時のイングランド王エゼルレッド2世(無思慮王)が、羽飾りのあるティアラを頭に着けた姿を描いた貨幣をもとにしたものだった。

初期ピャスト朝のポーランドにおいて、貨幣は支払い手段というより、何よりもプロパガンダの道具として重要だった。もしボレスワフ1世が、インディアンの羽根飾りを思わせる羽のついた王冠をあしらった自分の姿を鋳造師たちに刻ませたのなら、そこには明確な目的があったはずだ。「イングランドのエゼルレッドの貨幣はなかなか良い、うちも同じことをしよう」というような軽い動機では決してなかったのである。

ボレスワフはモラヴィアに対する自らの支配権を誇示したかったのだ。おそらく彼は1002年頃にこの美しい土地を征服したと考えられている。考古学的発見を注意深く解釈し、類推による論証を重ねると、まず抵抗する町々に火を放ち、その後、彼を主君と認めた現地のエリート層と手を結んだことがうかがえる。その後の年月には、「ボレスワフのモラヴィア戦士団」がしばしば、ドイツ王ハインリヒ2世とその同盟者との戦いで彼を支えた。

「勇敢王」ボレスワフ1世の最も奇妙な王冠――ポーランド国王はなぜ羽飾りの頭飾りを着けていたのか?

モラヴィア征服後、多くの戦士がボレスワフの軍団(ドルジナ)に加わって戦った。図はミハウ・ブィリナの絵画「ボレスワフの軍団」。

モラヴィアは1031年(1021年とする説もある)までピャスト国家の版図内にとどまった。この年、チェコ公オルジフの子ブジェチスラフが同地を征服したのである。モラヴィアの支配者となった彼は、BRACIZLAVの銘を持つ貨幣の鋳造を始めたが、そこに描かれていたのは……なんと羽飾りのついたダイアデムだった。

デナリウスは真実を語るのか?

何年も前、チェコの貨幣学者パヴェル・ラドムシェルスキーは、羽飾りの王冠こそがモラヴィア支配の象徴であると述べた。千年近く前のデナリウスに何が描かれているのかを推測するのは容易ではないが、少なくとも「羽のようなものがある」という点については大方の意見が一致している。数年前には、ポーランドの歴史家パヴェウ・ストゥージクが次のように指摘している。

モラヴィアの支配者としてブジェチスラフ1世が発行したBRACIZLAV銘のデナリウスの表面には、確かに、先端の突起が見えるダイアデム状の儀礼用頭飾りが表現されているように思われる。

DVX INCLITVSの銘を持つボレスワフ1世のデナリウスが、彼がモラヴィアの支配者であることを明確に伝えるメッセージだったことに疑いはない。ただし、それが羽飾りの王冠であるかどうかは確定できない。「この儀礼用頭飾りが、モラヴィアのデナリウスに施された貨幣としては精緻な図像が示唆するように、羽飾りのついたダイアデムなのかどうかは、我々が断定できるものでは決してない」と、彼は2002年に権威ある歴史学誌に発表した論考の中で書いている。

羽飾りの王冠の時代

他の史料は残されていないが、モラヴィア支配の象徴が存在したことは疑いない。まるでアーサー王伝説の「石に刺さった剣」や、ズビグニェフ・ニェナツキの小説『ヤ、ダゴ』に登場する9世紀の神聖なアンダルの腕輪のようなものだ。そして、羽飾りの王冠ならば完璧に当てはまる。なぜなら、前期および盛期中世において、君主たちはしばしばこの方法で頭飾りを飾っていたからである。

これはビザンツの影響と思われる。皇帝ユスティニアヌス1世(565年没)もコンスタンティノープルの数人の皇后も、クジャクの羽で飾られたティアラを着用していたからだ。時が経つにつれ、この習慣は西欧にも広まった。例えば1186年、教皇ウルバヌス3世は、金枠で縁取られたクジャクの羽で作られた王冠をイングランド王ヘンリー2世(プランタジネット朝)に送った。これは息子ジョンのためのもので、アイルランドに対する権威の承認の印だった。ちなみに、このジョンこそ、ロビン・フッドの物語や映画に登場する悪名高い「失地王」ジョン王子である。

「勇敢王」ボレスワフ1世の最も奇妙な王冠――ポーランド国王はなぜ羽飾りの頭飾りを着けていたのか?

デナリウスに打たれた、羽飾りの王冠を着けた「勇敢王」の姿。

羽飾りの王冠の名残は、後世の羽で飾られた帽子の中に見出すことができる。民族学者たちもまた一石を投じている。「単独で用いられるか、額飾りという形で衣服を飾るかして用いられた羽の王冠」は、両大戦間期にはラトビア、ポレーシェ、東カルパティア山麓、セルビア、西フィンランド、テューリンゲンの一部地域で今なお着用されていたからだ。カジミェシュ・モシンスキーは1929年の大著『スラヴ民俗文化』の中でこう記している。「そしてこの装いは、研究者たちによって北米先住民のそれと比較される。もちろん、純粋に外見上の一般的類似性についてのみの話である」。

こうしてみると、インディアンの羽根飾りを思わせるものを身につけた「勇敢王」ボレスワフの姿は、単なる図像上の遊びではなく、歴史的現実にしっかりと根ざしたものであったことが分かるのである。