歴史物語

EOKA闘争:ギリシャ系キプロス人が英国支配に挑んだ独立への道

エノシス(祖国ギリシャとの統合)を掲げた蜂起

1955年4月1日、ギリシャ系キプロス人たちは、祖国ギリシャとの「統合(エノシス)」を実現すべく、イギリスの支配に打ち克つために立ち上がりました。この闘争は1959年2月19日の「ロンドン・チューリッヒ協定」によって幕を閉じ、キプロスは独立国家として宣言されることとなりました。

統合への機運が高まった1950年

メガロニソス(大島=キプロス)からイギリスの占領を排除し、ギリシャとの統合を求めるギリシャ系キプロス人の声が本格的に表面化したのは1950年のことです。同年1月15日にはキプロス教会の主催による住民投票が実施され、投票者の95.7%がギリシャとの統合に賛成。さらに10月20日にはマカリオス3世がキプロス大主教に選出されました。当時は植民地主義が退潮に向かい、被支配国が次々と独立を求めて声を上げていた時代でした。

EOKAの結成と解放闘争の開始

アテネ政府は、ギリシャ系キプロス指導部の要請と、アテネにおけるキプロス闘争支援組織からの圧力を受けて、国連への度重なる訴えを通じて問題の国際化を図りました。そして1954年11月10日、予備役大佐ゲオルギオス・「ディゲニス」・グリヴァス(1897~1974年)が島に渡り、キプロス戦士全国組織(EOKA)を結成します。1955年4月1日、EOKAはイギリス植民地当局に対する武装行動を開始し、キプロス人解放闘争の幕が開かれました。

キプロス生まれのグリヴァスはギリシャ陸軍の将校出身で、ドイツ占領期には反共組織「X」を創設し、ギリシャ内戦にも積極的に関わった人物です。一方、EOKAの政治指導者を務めたのはマカリオス大主教(1913~1977年)で、彼は後にキプロス共和国の初代大統領となりました。

闘争の発端と標的となった勢力

闘争の発端は、1955年3月31日夜から4月1日未明にかけての一斉攻撃でした。ファマグスタでは政府庁舎、警察署、ラジオ局、イギリス軍キャンプが標的となりました。その後の闘争においてEOKAは、イギリスの支配者層だけでなく、植民地当局に協力するギリシャ系キプロス人、キプロスのトルコへの「併合(タクシム)」を求めたトルコ系キプロス人の組織、さらには「英国の手先」として民族主義者から非難された左翼政党AKELのメンバーをも攻撃対象としました。国民解放闘争におけるAKELの役割をめぐるキプロス右派と左派の対立は、実に今日まで尾を引いています。

独立は実現したが、エノシスは果たされず

カラオリス、ディミトリウ、パリカリディス、アウクセンチウら多くの闘士が命を捧げ、尊い血が流されましたが、「統合(エノシス)」という当初の目標は最終的に達成されませんでした。それでも、1959年2月19日のロンドン・チューリッヒ協定を経て、キプロスは1960年10月1日、独立国家として新たな一歩を踏み出したのです。