歴史物語

硫黄島の戦い:1945年3月26日、戦場に静寂が戻るまで

人類史上最も凄惨な戦いの一つであり、史上最大級の上陸作戦の一つとして知られるのが硫黄島の戦いである。1945年2月から3月にかけて、日本の硫黄島を舞台に米軍と日本軍が激突したこの戦いは、第二次世界大戦の太平洋戦線で行われた主要な軍事作戦の一部だった。

硫黄島――「硫黄」の名を持つ小さな火山島

硫黄島という島名は、島内に豊富に存在する硫黄の堆積物に由来する。東京の南約1,200キロ(650海里)に位置し、小笠原諸島に属するこの小さな火山島は、面積わずか21平方キロメートル。島の最大の地形特徴は、標高169メートルの摺鉢山である。

太平洋戦線の主導権と日本側の決断

1945年初頭までに、アメリカ軍は太平洋戦線で優位に立っていた。マーシャル諸島とマリアナ諸島を制圧したことで、B-29戦略爆撃機による日本本土への攻撃が可能になっていたのである。一方の日本軍は、海軍・航空兵力ともに大きな損失を被っていた。

こうした状況を受け、日本軍首脳部は小笠原諸島を何としても死守することを決定した。同諸島の喪失は米軍の空襲を容易にし、戦争遂行能力を崩壊させ、国民の士気低下をも招くと判断されたからだ。

とりわけ硫黄島には早期警戒レーダーと二つの飛行場が設置されていた。米軍がこの島に狙いを定めたのは、次の沖縄作戦への橋頭堡として必要だったことに加え、島に配備された日本軍機がB-29を執拗に妨害していたためである。硫黄島攻略を提案したのはチェスター・ニミッツ提督だったが、ダグラス・マッカーサー将軍はこれに反対し、フォルモサ(現在の台湾)の確保を主張して対立した。

栗林忠道中将と地下要塞化された防御

日本軍は島の防衛を栗林忠道中将に託した。その命令は「最後の一兵まで持ち堪えること」だった。栗林中将は約22,000名の兵員と重砲を硫黄島に送り込み、防御の要を広範な洞窟網と地下壕に据えた。これは、米軍から予想される圧倒的な艦砲射撃と空爆から兵員を守るためだった。

栗林中将の作戦構想は、米軍を海岸に妨害されず上陸させ、こちらから撃たずに自軍の配置を秘匿するというものだった。米軍が海岸から500メートル以内に接近した時点で初めて砲撃を開始し、兵士たちは最後まで陣地を死守する――徹底した持久戦術である。

圧倒的な戦力差

アメリカ軍首脳部がニミッツ案を採用すると、作戦には日本軍の約5倍にあたる110,000名の兵力が投入された。「近代水陸両用作戦の父」と呼ばれるホランド・スミス大将が、第3・第4・第5の3個海兵師団からなる第5水陸両用軍団の指揮を執った。

上陸作戦の開始

米軍の攻勢は1945年2月19日午前2時に始まった。硫黄島に対する容赦ない航空攻撃と艦砲射撃である。そして午前8時59分、30,000名の海兵隊員の上陸が開始され、彼らは摺鉢山から降り注ぐ日本軍の銃火の中へ突入していった。火山砂の平坦な地形ゆえに遮蔽物がなく、上陸部隊は極めて不利な状況に置かれた。その日のうちに、さらに40,000名の海兵隊員が戦場へ投入された。

摺鉢山に掲げられた星条旗

上陸4日目の朝、摺鉢山は島の他の地域から分断され、海兵隊はその奪取に向かった。強固な抵抗に遭遇すると予想されていたが、部隊はそれほど苦もなく山頂に到達。兵士たちは鉄パイプに星条旗を掲げ、地面に打ち立てた。この光景にアメリカ国民は勇気づけられ、日本軍は終焉の近さを悟った。

この瞬間を捉えたのが、AP通信のカメラマン、ジョー・ローゼンタールである。この写真は歴史に残る名刺となった。実は、兵士たちが何度も旗を掲げ直し、感動的な一枚が撮影されるまで場面が繰り返されたのだという逸話も残っている。

一ヶ月に及ぶ激戦の末の終結

摺鉢山を失い士気が落ち込んでいたにもかかわらず、日本軍はその後も1ヶ月間勇敢に戦い続け、米い続け、米軍に甚大な損害を与えた。戦闘が停止したのは1945年3月26日の朝のこと。そのとき戦場に残っていた守備兵はごくわずかだった。

事実として記しておきたい。硫黄島の日本軍守備隊22,000名のうち、20,703名が戦死し、指揮官の栗林中将自身もその中に含まれる。捕虜となったのは216名だった。一方、アメリカ軍も戦死5,598名、行方不明494名、負傷19,189名という深刻な損失を被った。第二次世界大戦において、連合軍の死傷者数(戦死者と負傷者の合計)が日本軍を上回った唯一の戦いこそ、この硫黄島の戦いなのである。

攻略の意義をめぐる議論

硫黄島の攻略は、米軍による日本本土への進撃、ひいては太平洋戦線の作戦終結へ向けた重要な一歩となった。しかし多くの軍事分析家は、米軍の甚大な損失を踏まえ、島を占領する必要性そのものに疑問を呈している。硫黄島はその後1968年に日本へ返還されるまで、アメリカの施政下に置かれ続けた。

映画における硫黄島の戦い

『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』。クリント・イーストウッド監督が2006年に発表したこの二部作は、硫黄島の戦いを題材とした作品である。前者はアメリカ側の視点から、後者は日本側の視点から、同じ戦いをまったく異なる角度で描き出している。