歴史物語

NATOによるユーゴスラビア空爆から20年――第二次大戦後の欧州を震撼させた78日間

歴史に残る空爆の始まり

ちょうど20年前の今日、NATO(北大西洋条約機構)はユーゴスラビア(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、北マケドニアの独立後、残された国)に対する大規模な攻勢を開始しました。

「NATOは、コソボの将来に関する合意文書への署名を拒んだユーゴスラビアに対し、爆撃作戦を開始した。空爆は3ヶ月間続けられ、ユーゴスラビア軍が同地域から撤退するまで実施される。これは同盟史上初となる、主権国家に対する攻撃である」

第二次世界大戦後初の欧州での空爆

それだけにとどまりません。この攻撃は、第二次世界大戦の終結以来、ヨーロッパの地で初めて行われた空爆であり、しかもギリシャの北の国境から目と鼻の先にある国へのものだったのです。

劣化ウラン弾と戦略インフラへの打撃

一連の爆撃において、NATO軍(主力はアメリカ軍)は、当時としては最新鋭の技術である劣化ウラン弾を使用し、ユーゴスラビア国家にとって戦略的に重要なインフラ施設を主な標的としました。

ギリシャ国内で巻き起こった反戦ムーブメント

ビル・クリントン米大統領の任期終盤(在任最後から2年目)に行われたこの軍事作戦は、ギリシャ国内で極めて大きな世論の反発を招きました。その声は主に、ユーゴスラビアの人々を支援するための集会やチャリティーコンサートという形で表れました。

中でも特筆すべきは、サッカーのAEKアテネの大胆な動きです。同チームは爆撃の真っ只中にベオグラードへ乗り込み、パルチザン・ベオグラードと対戦。純然たる反戦メッセージを掲げた親善試合を実現させたのです。

空爆の終結とコソボの新体制

爆撃は合意が成立するまで続けられました。その結果、ユーゴスラビア軍はコソボから撤退し、国連平和維持活動の一環として「国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)」が設立されることとなりました。

甚大な人的・経済的損失

スロボダン・ミロシェヴィッチ率いるユーゴスラビアが被った犠牲は甚大でした。死者は3600人に上り、その大多数は民間人だったものの、兵士や警察官も含まれていました。また、ユーゴスラビア国家が受けた経済的損害は、1999年時点の価格で実に300億ドルという驚異的な額に達したのです。