歴史物語

歴史が証明する、過去のパンデミックから人類が学んだ5つの厳しい教訓

新型コロナウイルスのような世界的パンデミックは、社会の脆弱性を最も厳しい形で露呈させる一方で、人類の生存にかかわる貴重な教訓をもたらしてきました。

ペストや1918年のインフルエンザ(スペインかぜ)など、何世紀にもわたり数え切れないほどの命を奪ってきた感染症の流行は、社会に対策の改善を迫り、後世に向けた貴重な知識を残してきました。

人類は驚くべき回復力を持っており、新しい状況に適応することを学んできました。以下に、その具体的な取り組みを5つ紹介します。

1. 検疫(隔離)

検疫という措置が史上初めて実施されたのは、1377年7月。「黒死病」として歴史に名を刻む腺ペストの流行中、ラグサ港(現在のクロアチア・ドゥブロヴニク)でのことでした。当時の条例には次のように記されています。「汚染地域から来た者は、消毒を目的としてムルカンの小島またはカフタトの町で1か月間過ごさない限り、ラグサ地方への立ち入りを認めない」。医師たちは、人々を隔離することで黒死病の蔓延を遅らせられることに気づいたのです。

第一次世界大戦から帰還した兵士たちが持ち込んだ1918年のインフルエンザ・パンデミック(スペインかぜ)への対応においても、20世紀アメリカの各都市にとって検疫は大きな役割を果たしました。サンフランシスコでは到着した船員が隔離され、同市やセントルイスでは集会が禁止され、劇場や学校が閉鎖されました。一方のフィラデルフィアは、パレードのわずか72時間後に市内31の病院が患者で満杯となり、将来のパンデミック対応における「反面教師」として語り継がれることになりました。

2. 飲食物を受け取る際のソーシャルディスタンス

イタリアは現在のコロナ禍と同じように、過去にもパンデミックの震源地となりました。イタリア・ペスト(1629〜1631年)の流行中、トスカーナの富裕層は、感染のおそれのある街路に出ることなく自宅のセラーの中身を売る賢い方法を考案しました。それが「ワイン窓(ブケッテ・デル・ヴィーノ)」です。

家屋には狭い窓が設けられ、ワイン売りは窓越しに待ち構える客へ商品を渡すことができました。これはコロナ禍のニューヨークなどで見られた「カクテル窓」と通じる仕組みです。17世紀のワイン商人は、代金を受け取る際に酢を消毒剤として使うことさえありました。フィレンツェ市内には150以上のワイン窓が現存しており、ペストから400年後のコロナ禍で「復活」を遂げ、ワインやコーヒーからアイスクリームまで、さまざまな商品を客に提供しています。

3. マスクの着用

歴史が証明する、過去のパンデミックから人類が学んだ5つの厳しい教訓

ペストの患者を治療していた医師たちは、長いくちばしのついたマスクを着用していました。発想自体は正しかったのです。大きなくちばしが患者と医師の間に距離を作り、少なくとも部分的には口と鼻を覆っていたからです。ただし、その根拠となる科学は誤っていました。当時の医師たちは、病気が空気中の悪臭を通じて広まるという「瘴気説」を信じており、くちばしには病気を寄せ付けないとされる強い香りのハーブが詰め込まれていたのです。

1918年のインフルエンザ・パンデミックでは、マスクが感染拡大を食い止める切り札となりました。1918年9月、サンフランシスコではマスクの着用が義務化され、従わない者には罰金や投獄、さらには新聞紙上で「マスク拒否者」として名前を公表するという脅しまで課されました。

しかし新聞は、規則違反者を恥じさせるためだけのものではありませんでした。市民が自宅でマスクを作るための手順も掲載されていたのです。多くの人々はこの機会に創造性を発揮し、シアトル・デイリー・タイムズ紙は1918年10月に「インフルエンザ・マスクの新しいファッション」と題する記事まで掲載しました。

4. 手と物の表面を洗う

病気の蔓延を抑えるための手洗いは、今では衛生習慣として完全に定着していますが、20世紀初頭にはまだ目新しい考え方でした。その普及を促すため、来訪者や石炭・牛乳・氷を配達する人が持ち込む細菌から家族を守る方法として、1階に洗面所や浴室を設ける住宅が最初に登場しました。

それまでの来訪者は、浴室を使うために家の中のいくつもの部屋を通り抜け、細菌を運び込んでいました。(「腸チフスのメアリー」ことメアリー・マロンは、食品を扱う前に手をきちんと洗わなかったことで、あだ名の由来となった病気を広めてしまった人物です)。

細菌説は、1800年代半ばにルイ・パスツール、ジョゼフ・リスター、ロベルト・コッホによって提唱された比較的新しい概念で、病気は肉眼では見えない微生物によって引き起こされると主張するものでした。1階に洗面台があれば、帰宅時にすぐ手を洗えるため、衛生意識の浸透に一役買いました。

さらに、1920年代の病院や地下鉄、浴室に白いタイルがよく使われていたのにも理由があります。白いタイルは掃除しやすく、どんな汚れもひと目でわかるからです。

歴史が証明する、過去のパンデミックから人類が学んだ5つの厳しい教訓

5. 新鮮な空気と柔軟な教育対応

教育と学校の閉鎖は、どのパンデミックにおいても難しい判断を迫られる問題です。

1900年代初頭、1日に450人もの命を奪い、犠牲者の多くが子どもだった結核の流行を抑える決め手となったのが、清浄な空気であることが判明しました。ドイツは「野外学校」というアイデアを先駆けて導入し、1918年までにアメリカの130以上の都市にも広まりました。清浄な空気を求める動きは、公衆衛生の向上を目指す都市計画家たちに、より多くの緑地をつくるきっかけも与えました。

1918年秋のスペインかぜ第2波の際、シカゴとニューヨークの公立学校は開校を続けました。当時のニューヨーク市保健局長はニューヨーク・タイムズ紙にこう語っています。「子どもたちは、衛生的とは言えないことが多い家庭を離れ、常に検査と管理体制が整った、大きく清潔で風通しの良い校舎へと向かうのです」

なお興味深いことに、1665年にペストが発生した際、ケンブリッジ大学は当時まだ若かったアイザック・ニュートンを実家の農場へ帰らせています。伝えられるところによれば、万有引力の法則へとつながるリンゴの落下を目撃したのは、まさにこの農場だったといわれています。