歴史物語

1821年ギリシャ革命 女性たちはいかに戦い、反逆したのか

「男性的な思想でありながら、優しさに満ちた感情、勇敢な理念を、かつて女性だけに許されていた優美さをもって表現したものを読みたいと思うなら——ギリシャの女性たちがアメリカのフィレレン(親ギリシャ主義者)の女性たちに宛てた手紙を読んでみるがよい」

新聞『法の友』の匿名の編集者は、こうした言葉で、エヴァンティア・カイリスによる演説原稿「ギリシャ女性からフィレレンへの手紙」を、感動を込めて紹介しました。「女性的な文体で語られる男性的な意見」としてギリシャ女性の優れた見識を、彼がどれほど誇りを持って称賛しているかに目を向けるとき、当時の革命家たちにとって、性別の壁を打ち破るほどに卓越した個人によって構成される国家の樹立がいかに重要であったかが見えてきます。同時にこの一節は、当時も現代も、私たちがあの時代の女性たちをいかに男性の視線を通して捉え、評価しているかを思い起こさせてくれます。

革命は「男性だけの事業」ではない

「1821年の革命に対する女性たちの貢献」と語るとき、その微妙な言い回しの奥には、「革命とは男性の営みであり、女性はそこに貢献したにすぎない」という認識が潜んでいます。しかし、歴史記録や研究文献は、別の物語を伝えています。革命的な過程は常に、社会的に周縁に置かれた集団にとって魅力的なものです。より多くの権利と政治的代表への道を開く、異なる政治的・社会的秩序を思い描くことを可能にするからです。

革命の渦中にあった女性たちは、オスマンの文化と統治に起因すると多くの人々が考えていた抑圧から抜け出す道を、そこに見出しました。本稿ではいくつかの女性たちの革命的な行為を取り上げ、彼女たちが蜂起と戦争にどんな意味を見出し、革命の中に自分自身にとってどんな可能性を認めていたのかを示したいと思います。

「規則を裏付ける例外」とされてきた戦う女性たち

当時の女性像として一般的なのは「抑圧されていた」というものです。実際に戦ったとされる少数の女性、たとえばラスカリナ・ピノツィ(ブービュリナ)やマント・マヴロゲヌスは、「規則を裏付ける例外」として扱われがちです。この印象は部分的には正しく、物質的・社会的条件はしばしば女性の行動を阻む壁となりました。しかし、もう一つの側面があったことも分かっています。多くの女性が戦闘に参加し、自ら武器を握ったのです。

こうした出来事の余響は、民謡のような代替的な史料を通じて、断片的に私たちのもとへ届きます。そこからは、ボツァリス家のレニオをはじめ、数多くの女性の存在を知ることができます。

また、歴史家ヤニス・ヴラホギャニスによれば、男装して戦場で常にカライスカキスの側にあった腹心の「マリオ」についての証言もあります。19世紀後半の旅行者たちの記録からは、コンスタンティノス・カナリスの妻デスピナ・マニアティがプサラ島の虐殺の際に示した勇気を知ることができます。歴史家フランソワ・プークヴィルは、500人の兵を率いたスパルタのコンスタンティナ・ザカリアスについて記しています。さらにカリロイ・パレンの『婦人新聞』からは、ヴァルテツィの戦いとトリポリッツァ包囲戦に参加したスタヴリアナ・サヴァイナの名前が浮かび上がります。もちろん、女性たちの軍事的行動に関する証言は、これ以外にも数多く残されています。

戦場の外にも広がっていた女性の活動領域

冒頭で触れた、アメリカのフィレレンの女性たちへの手紙は、ジェンダー化された政治行動の典型的な例です。これはエヴァンティア・カイリスによる文章で、彼女はその翻訳業や文学活動ゆえにいくつもの研究の対象となってきましたが、一般にはあまり知られていません。

革命の危機的な局面にあたる1825年に書かれ、当時の数十人の女性たちによって署名され、アメリカ合衆国で大きな反響を呼んだこの手紙は、中流・上層階級の女性たちが政治的行動に参加する場として、フィレレン主義(親ギリシャ主義)が切り開いた空間の一端を示す小さな標本です。それは同時に、盛んだったジェンダー化された知的活動のこだまでもあります。教育を受けようとする女性たちが直面した問題や、当時の社会における困難な立場への認識は、出版物という形をほとんど取らなかった多様な知的生活の存在を覆い隠しがちです。しかしそれは、さまざまな形で——隠された形でも、さほど隠されていない形でも——アーカイブの中で私たちを待っているのです。

1821年ギリシャ革命 女性たちはいかに戦い、反逆したのか

「慈善」の名のもとでの政治表現

フィレレン主義の潮流は、慈善という名目の下で、女性たちが自らの政治的立場を表明し、物的・精神的支援を集めることのできる空間を生み出しました。ディアスポラの共同体では、ヴェネツィアのイザベラ・テオトキス=アルブリーチや、サンクトペテルブルクとオデッサで活動したロクサンドラ・ストゥルザ(エドリング)といった上流階級の女性たちが、サロンにおいて公然とギリシャ革命への精神的・経済的支援を推進し、秘密結社の設立にも関与していきました。

秘密結社という「見えない」活動の場

こうした秘密結社の多くは、その組織形態をフリーメイソンのロッジやカルボナリ(炭焼党)の結社に由来するものであり、諸国民の革命の時代を支える組織インフラの一部を形成していました。同時にそれは、姿を見せる必要がないぶん、女性たちが比較的容易に活動できる環境でもありました。

そのため、フィリキ・エテリア(友愛協会)の下層部に女性が参加していたことが分かっています。コンスタンティノープル出身のマリゴ・ザラフォプラなどがその例です。また、ファナリオット出身のラルー・カラッツァ=アルギロプーロウのように、少なくとも自身の地域の上層部の動向を把握していたとみられる女性もいました。さらに、フィリキ・エテリア以外の結社も存在しました。ウィーン哲学会はその一つで、ロクサンドラ・ストゥルザは創設メンバーでした。また、オーストリア秘密警察の断片的な記録は、イザベラ・テオトキス=アルブリーチがヴェネツィアで同種の組織の設立に関わっていた可能性を示唆しています。

アーカイブが待つ「もう一つの革命史」

ここまで、戦い、秘密結社に参加し、軍事的行動に関わった女性たちへの言及を、アーカイブや二次史料の中で簡潔に辿ってきました。女性史にとって、空白を埋め、馴染み深い物語から脇に追いやられてきた人々を取り戻そうとする営みは、いつだって興味深く有益なものです。しかしそれにとどまらず重要なのは、ジェンダー化された革命的実践を認識し、女性たちがギリシャと戦争をどう捉え、新しい政治体である国民国家の中で自分たちが占める——あるいは占めるだろうと想定していた——場所をどう求めていたのかを読み解くことです。

大多数の女性たちは、ギリシャ的でヨーロッパ化された国家の樹立が、自分たち自身の生活の向上、人間としての尊厳と価値の承認をも意味すると信じていました。革命的文脈の中で、彼女たちは無限の可能性を見出したのです。その多くは実現されませんでした。しかし、女性たちに向き合うことは、時代が内包する無数の可能性に目を開かせ、それを特徴づけた欲望・認識・行動のモザイクを感じ取り、ギリシャ革命の多面的で多様な姿をとらえることを、私たちに可能にしてくれると私は考えています。

*本稿はエリサヴェト・パパレクソプーロウ博士(欧州大学財団フィレンツェ)によるもので、刊行予定の「メディアについて話そう #4 – ギリシャ #MeToo と公共言説」に収録されます。同書は月曜日、メディアジョーカーズチームとENA代替政治研究所の共同により、www.enainstitute.org で公開される予定です。