歴史物語

現代の価値観で過去を裁くのは「反歴史的」である――歴史家に求められるもの

現代の価値観で過去を裁くのは「反歴史的」である――歴史家に求められるもの

なぜそうなるのかは分からないが、非常に多くの人々が歴史に対して静的で固定化したイメージを抱いており、過去の出来事を現代の文明水準や西洋世界の基準で評価し、断罪してしまうという過ちを犯している。今日、当たり前のものと思われている権利の多くは、ほんの数世紀前――場合によっては数十年前――まで、決して当然のものではなかったことを、あまりにも安易に忘れているのだ。

歴史とは何よりもまず、出来事そのものの記述だけでなく、同時代の人々がそれらの出来事をどう評価し、どう道徳的に判断していたのかという体系の物語でもある。

イタリアの例――王政から共和政へ

イタリアを例に挙げてみよう。今日のイタリアは民主主義に基づく共和制国家であり、70年余り前には想像もできなかった数多くの重要な市民権が存在している。これは当時イタリアに独裁体制があったからではない。当時のイタリアは共和制ではなく立憲君主国だったのだ。「君臨すれども統治せず」と当時言われたように、国王の権限は限定的だった。しかし、その権限がいかに小さかろうと、国王がいつでも自らの裁量で、イタリア国民の意思に構うことなく、任意の人物を政府の長に任命できるだけの力を持っていたことには変わりない。

ムッソリーニの任命

ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、まさにこの方法で行動した。その治世中、事実上選挙に「勝利」していなかった人物が、二度にわたって政府の長に任命されたのである。

最初の人物はベニート・ムッソリーニだった。ファシスト党(PNF)の指導者である彼は、「ローマ進軍」と呼ばれる武装した民衆を首都郊外に集結させ、これを圧力の手段として利用し、国王との個人的な会談を経て政権の座についた。当時、彼の党が議会で頼れる勢力はごく一部に過ぎなかったにもかかわらず、である。

バドリオの任命

二人目の人物はピエトロ・バドリオ元帥である。1943年、ファシズム大評議会などファシスト党の制度的機関がムッソリーニを事実上解任すると、国王に近く、英米軍への降伏による戦争終結を支持していたバドリオが、後継の首相に任命された。

国王が、実質的には政党機関と化していた「議会」の要請を受け入れたとき、それは完全に当時の国王の権限の範囲内であり、当時施行されていた法律に完全に適合した行為だった。

現代の物差しは過去を変えられない

今日、あの法律は不合理で無意味に見えるだろう。共和国として約四分の三世紀を過ごしたいま、あの制度体系は誤りで欠陥のあるものに映る。人によっては、想像すらできず、現在の道徳的水準とまったく相容れないものとさえ見なされるかもしれない。しかし、今日私たちが持つ評価の枠組みは、過去に起こったことを変えることはできない。

根本的に異なる世界でなされた行為や決定、価値体系の正当性を、現代西洋の原則に基づいて問い直すことは、歴史的に見て最も誤った営みである。そうすることで、その文脈を十分に理解していない出来事について、事後的な判断が下されてしまうからだ。

歴史家の本当の任務

私に言わせれば、歴史家の最も重要な任務の一つは、過去の事実を単に再構築することではなく、それらの事実や出来事を正確な歴史的・政治的・文化的文脈の中に位置づけることにある。歴史家の仕事とは、もはや存在しない世界を定義し、理解しようと試みることだ。その世界の仕組みは、もはや適用できない理念――場合によっては非人道的にすら見える理念――によって支配されていたのである。

例えば、19世紀アメリカ大陸の奴隷制やナチス・ドイツを考えてみよう。奴隷所有者たちとナチスの価値観や原理は、ある見方をすれば非常によく似ている。今日の常識では、一つの民族や集団が他より優越するという思想は忌むべきものとされる。しかし当時はそうではなかった。それらの思想は広く流布し、受け入れられていた。奴隷制と人種差別が蔓延していた世界の内部だけでなく、その外部においても――そこに奴隷プランテーションや強制収容所はなかったかもしれないが――それらの思想は容認されていたのであり、外部におけるその容認こそが、それらの思想の存続を可能にしていたのだ。

結論――歴史家は中立であれ

結論として言えるのは、私たち「歴史家」は特定の側に立つことも、現代の価値観に基づいて過去の出来事を裁くこともできない、ということだ。それは私たちの職務の一部ではない。歴史家の使命は、この世界の記憶を可能な限り適切かつ客観的な形で保存すること、そして自らの政治的思想や価値体系で過去の出来事を汚染しないことなのである。