歴史物語

ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチは本当に相容れなかったのか?〜ルネサンス二大天才の確執〜

ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチは本当に相容れなかったのか?〜ルネサンス二大天才の確執〜

レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ・ブオナローティの肖像

ルネサンス期イタリアを代表する二人の天才——ミケランジェロ・ブオナローティとレオナルド・ダ・ヴィンチ。しかし、この芸術史上最高峰の二人の間には、決して良好とは言えない関係があったと伝えられています。

ヴァザーリが記録した「大きな不和」

16世紀の画家・建築家ジョルジョ・ヴァザーリは、著書『美術家列伝』(原題:最も優れた画家、彫刻家、建築家たちの生涯)の中で、二人の不仲について次のように記しています。

「ミケランジェロ・ブオナローティとレオナルドの間には、非常に大きな不和があった」

理由は今も謎のまま

なぜ二人が反りが合わなかったのか、その明確な理由は分かっていません。単なる頂点を争う者同士のライバル意識だったのでしょうか。当時のフィレンツェでは、メディチ家などの有力なパトロンからの注文を巡って、芸術家同士の競争が日常茶飯事でした。同じ時代、同じ街で活躍した二人の巨人にとって、互いへの対抗心はごく自然な感情だったのかもしれません。

ヴェッキオ橋での口論

あるとき、ブオナローティが『モナ・リザ』で名高いレオナルドとヴェッキオ橋ですれ違った際、決して丁寧とは言えない言葉を投げかけたと言われています。二人の関係がいかに冷ややかなものだったかを物語る逸話です。

「ダヴィデ像」の設置場所をめぐる対立

1504年には、ミケランジェロの傑作『ダヴィデ像』の設置場所をめぐって、レオナルドが否定的な意見を表明しました。当時フィレンツェ共和国は、ヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場への設置を検討していましたが、審議に加わったレオナルドは、屋外にさらされることによる劣化を懸念し、別の場所への移設を主張したのです。

幸いにも、彼の意見は決定打とはならず、ミケランジェロの見事な彫刻はシニョリーア広場に設置されることになりました。なお現在、広場に立っているのは複製であり、本物はフィレンツェのアカデミア美術館で大切に保存されています。