歴史物語

スティーブン・F・オースティンはなぜ逮捕されたのか?1833年の請願が招いた投獄の真相

「テキサスの父」と称されるスティーブン・F・オースティン(Stephen F. Austin)は、1833年のメキシコシティ訪問の帰途、メキシコ当局によって反逆罪(大逆罪)の嫌疑で逮捕されました。彼を拘束したのはテキサスの入植者ではなく、メキシコ政府の当局者であった点は重要なポイントです。

逮捕の背景:1833年のメキシコシティ請願

当時テキサスは、コアウイラ州と併せた「コアウイラ・イ・テハス州」の一部にすぎませんでした。入植者たちは、テキサスを独立した州へ昇格させること、関税の軽減、移民制限の緩和などを求め、1832年と1833年に開催された会議で請願の方針を固めていました。

1833年、オースティンはこれらの要求を直接訴えるためメキシコシティへ赴きます。途中のコレラ流行などで交渉は長引きましたが、アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ政権は移民規制の一部緩和には応じた一方、テキサスの分離州化そのものは拒否しました。

逮捕の決め手となった「一通の手紙」

交渉の行き詰まりを受け、オースティンは帰郷前にサンアントニオの市議会(アユンタミエント)宛てに書簡を送っていました。その中で彼は、州昇格が認められないのであれば、テキサスはメキシコの許可を待たずに独自に州政府を組織すべきだと述べていたのです。

この手紙が「反乱の扇動」とみなされたことが決定打となり、1834年1月、帰路の途中であったサルティーヨでオースティンは反逆罪の容疑で逮捕されました。

裁判なき投獄と釈放

オースティンは正式な裁判を受けることのないまま、メキシコシティの牢獄に収監され、一時はベラクルスのペローテ刑務所にも移送されるなど、約1年半にわたり拘束されました。1834年末にいったん保釈されますが、メキシコシティ滞在を条件とされ、完全に自由の身となったのは1835年7月のことでした。

逮捕がもたらした歴史的転換

長きにわたる投獄は、オースティンの政治的姿勢を根本から変えました。かつては穏健な自治拡大派だった彼は、メキシコ連邦内での権利回復はもはや期待できないと悟り、帰還後は独立志向へと傾いていきます。同年秋にテキサス革命が勃発すると、オースティンはテキサス側の指導者の一人として独立運動の先頭に立ち、「テキサスの父」としての歴史的地位を確立していくのです。