結論から言えば、クレーブスのアン(Anne of Cleves)が「シビラ」や「アメリア」という名で呼ばれたことはありません。これらの呼び名は誤り、あるいは他の人物との混同によるものです。
出生名は「アンナ・フォン・クレーフェ」
彼女は1515年9月22日、デュッセルドルフ近郊で「アンナ・フォン・クレーフェ(Anna von Kleve)」として生まれました。父はクレーフェ=マルク公ヨハン3世(Johann III)、母はユーリヒ=ベルク公女マリアです。ドイツ語圏では正式に「ユーリヒ=クレーフェ=ベルクのアンナ」と称されることもあります。
ヘンリー8世の4番目の妃
1540年、アンはイングランド国王ヘンリー8世の4番目の妃としてイングランドに迎えられました。しかし政略結婚だったこともあり、夫婦関係はほとんど成立せず、わずか6か月ほどで婚姻は無効とされました。
離婚後もアンはイングランドに留まることを選び、「王の愛する妹(King's Beloved Sister)」という名誉ある称号とともに、広大な邸宅や手厚い年金を与えられました。結果として、彼女は当時の女性としては非常に裕福で自由な余生を送ることになりました。
ヘンリー8世の妻たちの中で最後の生存者
アンは1557年7月16日、41歳でこの世を去りました。ヘンリー8世の6人の妻の中で最後に亡くなったのは彼女であり、ロンドンのウェストミンスター寺院に葬られています。
このように、歴史上の彼女の名前は一貫して「アンナ(英語読みではアン)」であり、「シビラ」や「アメリア」という呼び名は史実には存在しません。