第一次赤狩り(ファースト・レッド・スケア)とは
第一次赤狩りとは、第一次世界大戦末期から1920年前後にかけ、アメリカ合かけ、アメリカ合衆国で巻き起こった強烈な反共主義感情と、社会全体を包み込んだ疑心暗鬼(パラノイア)の時期を指します。当時のアメリカでは、共産主義者や無政府主義者が「国家転覆を企てる脅威」とみなされ、政府による徹底的な弾圧が実施されました。
引き金となったのは1917年のロシア革命
第一次赤狩りの最大の要因となったのは、1917年に発生したロシア革命です。この革命によりボリシェヴィキが政権を掌握し、世界初の社会主義国家が誕生しました。これを受けてアメリカでは、「ソビエト政権が自らの共産主義思想を世界各国へ輸出しようとしている」「革命の波がアメリカ本土にも押し寄せるのではないか」という恐れが急速に広まりました。
実際、1919年には大規模な労働争議が相次ぎ、シアトルではゼネストが発生。さらに高官宛ての爆弾郵便事件やウォール街爆破事件(1920年)といったテロ行為も重なり、国民の不安は一段と煽られました。
政府による弾圧と「パーマー襲撃」
こうした社会不安の中、米政府は共産主義の疑いがあるとされた人々に対し、逮捕、国外追放、就労制限(ブラックリスト化)などの厳しい取り締まりに踏み切りました。特に有名なのは、司法長官A・ミッチェル・パーマーが指揮した「パーマー襲撃(Palmer Raids)」です。1919年から1920年にかけて数千人が逮捕され、エマ・ゴールドマンら多くの移民系活動家が国外へ強制送還されました。
第一次赤狩りの終焉
しかし、過剰な弾圧が市民の基本的人権を侵害しているという批判が、メディアや法曹界から次第に強まると、運動は急速に退潮していきます。パーマー自身が予言した「全国規模の革命」が現実にならなかったこともあり、第一次赤狩りは1920年代に入るとともに沈静化しました。
その後の反共主義――第二次赤狩りとの違い
なお、1940年代末から1950年代半ばには、「第二次赤狩り」と呼ばれる新たな反共ムードがアメリカを席巻します。この時期には下院非米活動委員会(HUAC)がハリウッドをはじめとする各界で共産主義活動の調査を行い、ジョセフ・マッカーシー上院議員に象徴される「マッカーシズム」が横行しました。1953年のヨシフ・スターリンの死後、ソ連で非スターリン化が進むにつれ、激化していた反共ヒステリーは徐々に収束へと向かいました。
両者は時期も性格も異なりますが、第一次赤狩りと第二次赤狩りはいずれも「特定のイデオロギーへの恐怖」が社会を大きく揺るがした歴史的事件であり、現代においても重要な教訓として語り継がれています。