結論:入植者のボイコットは大きな成功を収めた
1767年に制定されたタウンゼンド法に対抗して展開された植民地人のボイコット運動(不輸入協定)は、極めて高い効果を発揮しました。植民地との取引を断たれたイギリス商人たちは売上の急落に苦しみ、植民地貿易と強固な結び付きを持つ商人層やイギリス東インド会社にとって、政府への強力な圧力となって跳ね返ったのです。
この運動は単なる消費の拒否にとどまらず、「自由の娘たち」と呼ばれる女性たちが手織りの布(ホームスパン)を作って輸入品を代替するなど、植民地全体を巻き込む経済的自立運動へと発展した点でも特筆されます。
ノース政権による税の大幅撤廃
深刻な経済的打撃と貿易への悪影響を受けて、ノース卿率いるイギリス政府は1770年、タウンゼンド法で課されていた課税のほとんどを撤廃せざるを得ませんでした。ガラス・鉛・ペンキ・紙などにかかる関税は次々と取り払われましたが、ここにもひとつ重要な例外がありました。それは「茶」にかかる税です。イギリス議会が依然として植民地に課税権を有するという原則を示したいという政治的思惑から、茶税だけは維持され続けました。
ボストン茶会事件へ、そして独立戦争へ
撤廃されずに残された茶税は、後の対立の火種となります。1773年にイギリス東インド会社の茶を事実上独占的に輸入させる茶法が成立すると、これに反発した植民地人は同年12月、ボストン港で停泊中の船から茶箱を海へ投げ込む「ボストン茶会事件」を起こしました。
このように成功を収めたボイコット運動と一連の抵抗活動は、植民地と本国イギリス当局との間の緊張を着実に高めていき、最終的に1775年のレキシントン・コンコードの戦闘を皮切りとするアメリカ独立戦争(アメリカ独立革命)へとつながっていくのです。