サラディン(サラーフッディーン)は、十字軍「に参加した」人物ではなく、十字軍「に対して」戦った指導者です。この点はしばしば誤解されますが、彼は12世紀にエジプトとシリアを支配するスルタンとして、イスラーム側の軍勢を率いて十字軍と対峙しました。
サラディンとはどのような人物だったのか
サラディンは1137年頃、現在のイラク・ティクリートに生まれました。やがてエジプトで権力を握り、アイユーブ朝を開いた後、シリア方面へも勢力を拡大します。エジプトとシリアという二つの要衝を統べるスルタンとなった彼は、イスラーム世界における中心的な存在へと昇りつめました。
十字軍と戦うことになった背景
11世紀末の第一次十字軍以降、エルサレムをはじめとする聖地の多くはキリスト教徒の十字軍国家の手に落ちていました。サラディンにとって、これらの失われた土地を取り戻すことは、宗教的な使命であると同時に、イスラーム世界を一つにまとめる政治的な目標でもありました。
ハッティーンの戦いとエルサレム奪還
1187年、サラディンはハッティーンの戦いで十字軍の主力に決定的な打撃を与えます。この勝利に続いてエルサレムを奪還し、その名はヨーロッパにも轟くこととなりました。なお、占領時の虐殺が横行していた時代において、彼はエルサレムの住民に対して比較的寛容な処置を行ったことでも知られています。
第三回十字軍との対決と後世への影響
エルサレム陥落の報を受け、イングランド王リチャード1世(獅子心王)らが率いる第三回十字軍が派遣されました。サラディンはこれとも長期にわたり渡り合い、最終的にエルサレムを守り抜きました。武人としての気品と公正さは敵方からも敬意を払われ、彼は東西双方の歴史において、騎士道精神の体現者として語り継がれる存在となっています。