歴史物語

アメリア・イアハートはハイドパーク高校を卒業していなかった?卒業後の歩みを解説

伝説的な女性飛行士として知られるアメリア・イアハート(Amelia Earhart)。しかし、その学歴については意外と知られていない事実があります。実は、彼女はシカゴのハイドパーク高校(Hyde Park High School)を卒業していませんでした。

ハイドパーク高校ではなく、アイオワ州の高校を卒業

イアハートの父親は鉄道会社の弁護士として働いていたため、家族は仕事の都合でたびたび引っ越しを繰り返していました。その影響で、彼女は幼少期から思春期にかけて複数の町の学校を転々とすることになります。

そして最終的に、イアハートが卒業証書を受け取ったのはアイオワ州デモインにあるセントラル高校(Central High School)でした。シカゴのハイドパーク高校にも通学していましたが、そこで卒業することはなかったのです。

高校卒業後に何をしていたのか?

第一次世界大戦中の看護活動

高校を卒業した後、イアハートは第一次世界大戦中にカナダのトロントへ渡り、軍病院で負傷兵の看護補助としてボランティア活動に従事しました。この経験を通じて医療への関心を深め、一時は医師になることを目指すようになりました。

コロンビア大学への進学と空との出会い

戦争が終わると、彼女はニューヨークのコロンビア大学に進学し、医学の勉強を始めました。しかし、家庭の経済的事情などにより、在学期間は短期間で終わっています。

その後、1920年にカリフォルニアで初めて飛行機に搭乗。この体験が彼女の人生を大きく変えることになりました。翌年には本格的に操縦訓練を受け、自らの最初の飛行機となる「キンナー・エアスター」を購入します。さらに1922年には女性としての高度記録を樹立するなど、飛行家としての道を着実に歩み始めました。

まとめ

アメリア・イアハートはハイドパーク高校を卒業しておらず、正式な卒業校はアイオワ州デモインのセントラル高校です。卒業後は戦時下での看護活動や大学進学を経て、1920年代に飛行家としてのキャリアをスタートさせました。やがて彼女は1932年に女性として初となる大西洋単独無着陸横断飛行を成し遂げ、世界の歴史に名を刻むことになったのです。