アメリカ史上最も有名なギャングといえば、間違いなくアル・カポネです。彼は禁酒法時代のシカゴで組織犯罪を支配し、密造酒の闇市場から莫大な利益を得るとともに、数多くの人々を殺害させたことで知られています。
アル・カポネとはどんな人物?
アルフォンス・ガブリエル・カポネ(Alphonse Gabriel Capone)は、1899年1月17日、ニューヨーク・ブルックリンでイタリア移民の両親のもとに生まれました。「スカーフェイス(傷顔)」という有名な異名を持ち、禁酒法時代(1920〜1933年)のアメリカにおける犯罪王として君臨しました。
犯罪への道――ブルックリンの少年時代
カポネの犯罪人生は、早くも小学校6年生の時に始まりました。彼はブルックリンの学校を中退し、近所の不良グループに加わったのです。街頭での喧嘩によって顔に傷跡が残り、これが後のニックネーム「スカーフェイス」の由来となりました。
シカゴでの台頭と巨万の富
1920年代、カポネはシカゴへ移り、先輩ギャングの下で組織犯罪の世界へ足を踏み入れます。やがてボスの座に就くと、密造酒の販売、賭博、売春などを手がけ、巨大な犯罪帝国を築き上げました。
28歳の時点で、彼の資産は推定1億ドルに達したとされています。賭博や売春といった違法ビジネスによるもので、当時としては天文学的な金額でした。
転落――連邦捜査官イーライ・ネスとの対決
幾多の殺人や密造酒取引の容疑を逃れ続けたカポネでしたが、ついに連邦捜査官イーライ・ネス率いる捜査チーム「アンタッチャブル」に追い詰められます。決定的となったのは、なんと所得税の未納でした。犯罪王を陥れたのは殺人罪ではなく、脱税罪だったのです。
1931年、カポネは脱税の罪で有罪判決を受け、11年の刑期を宣告されました。アトランタ刑務所を経て悪名高いアルカトラズ刑務所に収監され、1939年に釈放されましたが、梅毒による健康被害ですでに衰弱していました。そして1947年1月25日、フロリダ州の自宅でこの世を去ったのです。
アル・カポネに関する豆知識
- 彼は殺人や密造酒の罪では一度も有罪にならず、最終的に有罪となったのは脱税のみでした。
- 1929年の「聖バレンタインデーの虐殺」は、ライバル組織の一掃を狙ったカポネ一味の仕業と広く信じられています。
- 顔の傷は、無礼な発言が原因でナイフによる襲撃を受けたことがきっかけだと言われています。
- 獄中ではバンジョーの演奏を楽しみ、野球の中継を聞いて日々を過ごしていたと伝えられています。
まとめ
アル・カポネは、貧しい移民の子どもからアメリカ最大の犯罪王へと成り上がり、最後は税務当局の手によって転落した、波乱に満ちた人生を送った人物です。禁酒法時代のアメリカの裏面史を象徴する存在として、今なお多くの人々を魅了し続けています。