歴史物語

南北戦争の降伏条件の違い:シャーマンとジョンストン、グラントとリーの比較

1865年4月、4年間に及ぶアメリカ南北戦争の幕は、二つの重要な降伏によって下ろされました。ひとつは4月9日、バージニア州アポマトックス・コートハウスにおけるロバート・E・リー将軍率いる北バージニア軍の降伏。もうひとつは4月26日、ノースカロライナ州ベネット・プレイスにおけるジョセフ・E・ジョンストン将軍の降伏です。それぞれの場面で提示された降伏条件には、興味深い違いと経緯がありました。

グラントがリーに示した寛大な条件

リー将軍の降伏を受け入れた北軍のユリシーズ・S・グラント中将は、敗者に対して驚くほど思いやりのある条件を提示しました。

  • 南軍将兵は仮釈放され、武器を捨てて自宅へ帰還することが許された
  • 再び戦争に従事しない限り、裁判や処罰は行われない
  • 将校は佩剣(サーベル)を、騎兵は自分の馬を持ち帰ることが認められた
  • 農業の再開に必要な馬やラバについては、私有馬でも徴発馬でも持ち帰りが許された

グラントは、疲弊しきった南軍兵士たちが帰郷後の生活を立て直せるよう配慮したのです。リーもこの寛大な扱いに感謝し、部下たちに受諾を勧めました。

シャーマンがジョンストンに提示した条件――最初はさらに広範だった

一方、西側戦線から北上していたウィリアム・T・シャーマン将軍は、4月18日にジョンストンとの間で暫定的な合意に達しました。しかしその内容は、単なる軍事的な降伏にとどまらない、非常に広範なものでした。

  • ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、フロリダに展開する南軍全軍の降伏
  • 武器・弾薬・物資などの軍事財産の連邦政府への引き渡し
  • 南軍将兵の仮釈放と帰郷、および再従事の禁止
  • 南部諸州政府の扱いや元奴隷の権利など、戦後復興に関わる政治的条項

ところが、この暫定合意はワシントンの連邦政府に強く拒否されました。リンカーン大統領が暗殺された直後の時期であり、「軍司令官が政治問題まで取り決めるのは越権だ」と判断されたためです。シャーマンは激しく非難され、交渉は一時決裂しました。

最終的な合意はアポマトックスとほぼ同じ条件に

4月26日、シャーマンは政治条項をすべて削除した修正案を提示し、ジョンストンがこれを受諾しました。最終的な条件は次のようなものでした。

  • ジョンストン指揮下のすべての南軍部隊(各州に展開していた約9万人)の降伏
  • 武器・軍需品などの軍事財産の引き渡し
  • 将兵の仮釈放と帰郷。武器を捨てて平時の正当な職業に就く限り、再び戦争に従事しない限り処罰されない

なぜ条件に違いが生じたのか

両者の条件の違いを生んだ背景には、それぞれの意図がありました。グラントとシャーマンはともに、さらなる流血を避け、国の早期統一を優先して寛容な条件を採用しました。特にシャーマンの初期案には、南部復興を円滑に進めたいという狙いがありましたが、文民統制の原則に反するとして退けられました。結局、南北戦争の降伏条件は「厳しさ」ではなく「寛容さ」を基調とするものであり、それが敵対関係の清算と国家の再統合をスムーズにしたといえるでしょう。