シャイロの戦いとビックスバーグの包囲戦で戦い、後にアトランタ市を焼き払った北軍(ユニオン軍)の将軍は、ウィリアム・テカムセ・シャーマン(William Tecumseh Sherman)です。
ウィリアム・T・シャーマンとは
シャーマンは1820年にオハイオ州に生まれ、南北戦争(1861年〜1865年)において北軍を勝利に導いた最重要人物の一人です。当初は戦争の先行きに悲観的な見方をしていましたが、ユリシーズ・S・グラント将軍の信頼厚い右腕として頭角を現し、やがて西部戦線の総司令官へと昇りつめました。
シャイロの戦い(1862年)
1862年4月、テネシー州で行われたシャイロの戦いは、当時としては南北戦争最大規模の激戦となりました。シャーマンは南軍の奇襲攻撃を受けて大きな損害を被りながらも防衛線を維持し、翌日の北軍の反撃に大きく貢献しました。この戦いで彼は一躍名を知られるようになります。
ビックスバーグの包囲戦(1863年)
1863年、ミシシッピ川を掌握する要衝ビックスバーグをめぐる包囲戦では、シャーマンはグラントの指揮下で重要な役割を担いました。この勝利により北軍はミシシッピ川流域全体を支配下に置き、南部連合を東西に分断することに成功しました。
アトランタ方面作戦と市の焼却(1864年)
1864年、シャーマンはアトランタ方面作戦を指揮し、同年9月に南部の鉄道網と工業の中心地であるアトランタを陥落させました。市民を退避させた後、彼は軍事施設のみならず市街の大部分を焼き払うよう命じました。この「焦土作戦」は、南部の戦争遂行能力と国民の士気を根本から打ち砕くことを目的としたものでした。
「海への進軍」
アトランタ制圧後、シャーマンはジョージア州を横断してサバンナへ向かう有名な「海への進軍(マーチ・トゥ・ザ・シー)」を実施しました。補給線を断ったまま約300キロを進軍するという大胆な作戦で、沿道の鉄道や橋梁、資源を破壊しながら進み、南部経済に壊滅的な打撃を与えたのです。
まとめ
シャイロ、ビックスバーグ、そしてアトランタでの活躍により、シャーマンは南北戦争の帰趨を決定づけた将軍として歴史に名を刻んでいます。彼の「総力戦」の思想は、敵の経済基盤と民間の意志そのものを攻撃対象とする点で革新的であり、後世の軍事戦略にも深い影響を残しました。