ボストン茶会事件と国王の怒り
イギリス国王がボストンを罰しようとした最大の理由は、1773年に発生した「ボストン茶会事件(Boston Tea Party)」です。この事件では、「自由の息子たち(Sons of Liberty)」と呼ばれる植民地人のグループが、ボストン港に停泊していた船からイギリス製の紅茶342箱を海へ投げ捨てました。
ティー法(茶法)への抗議行動
彼らが過激な抗議行動に出た背景には、イギリス議会が制定した「ティー法(Tea Act)」と呼ばれる税があります。当時の植民地の人々は、「自分たちを代表する者もいない議会から税金を課されるのは不当である」という「代表なくして課税なし」の原則を掲げ、この税に強く反発していました。
紅茶の投棄は、単なるいたずらではなく、不当な課税に対する政治的な抵抗の意思表示だったのです。
国王の報復と歴史への影響
高価な紅茶を大量に失ったイギリス政府は激怒し、ボストン港の封鎖をはじめとする一連の厳しい懲罰措置(いわゆる「容れざるべき諸法」)を課しました。
しかしこの報復は裏目に出ます。かえって植民地の人々の反英感情を強め、各植民地の結束を促す結果となり、やがて1775年のアメリカ独立戦争の勃発へとつながっていきました。