1492年、クリストファー・コロンブスは最初の航海でハイチ島(当時は「エスパニョーラ島」と呼ばれた)に到達し、約39人の部下を現地に残してスペインへ帰還しました。しかし、翌1493年に再訪した際、残された男たちは全員が死亡しており、彼らが建てた「ナビダード要塞」も焼け跡となっていたのです。
先住民タイノ族との関係悪化
コロンブスの部下たちを殺害したのは、島の先住民であるタイノ族でした。タイノ族は本来、穏やかで来訪者を温かく迎える民族として知られていましたが、同時に自らの土地と文化を守ることに対しては非常に強い誇りを持っていました。ところが、残留したスペイン人たちは金の採掘や食料の調達を口実に、略奪やタイノ族の女性への暴行などを行ったと伝えられており、これが先住民側の怒りを買い、報復として要塞が襲撃されたと考えられています。
スペインによる搾取とタイノ族の抵抗
その後、カリブ海に勢力を広げたスペイン人は、タイノ族を急速に搾取し始めました。彼らを奴隷化し、土地を奪い、過酷な労働を強いたのです。タイノ族はスペインの占領に勇敢に抵抗しましたが、武器の格差やヨーロッパから持ち込まれた疫病などにより壊滅的な打撃を受け、最終的には敗北しました。
アフリカ人奴隷の導入とハイチ独立
16世紀初頭になると、激減したタイノ族に代わる労働力として、スペインはアフリカからの奴隷の輸入を開始しました。しかし、アフリカ人奴隷たちもまた、スペイン人による厳しい虐待と搾取に苦しむことになります。やがて彼らは立ち上がり、長く熾烈な闘争の末、1804年に世界史上初の黒人共和国「ハイチ」として独立を果たしたのです。
コロンブスの部下たちの最期は、新大陸におけるヨーロッパ人と先住民の最初期の衝突の一つであり、その後数百年にわたる植民地主義と搾取、そしてそれに抗う人々の抵抗という壮大な歴史の序章とも言える出来事でした。