19世紀後半のオーストラリア、ビクトリア州を舞台に警察と対立し、強盗や襲撃事件を起こした「ケリー・ギャング」。その首領ネッド・ケリーは、自作の鎧兜をまとう姿で知られる、オーストラリア史上最も有名な無法者(ブッシュレンジャー)です。この記事では、ケリー・ギャングの中核メンバー4人と、彼らに深く関わった人物アーロン・シェリットについて詳しく解説します。
ケリー・ギャングとは?
ケリー・ギャングは、1878年から1880年にかけてビクトリア州北東部で活動した武装集団です。警官殺害の容疑で指名手配された後、ユーロア銀行とジェルダリー銀行の強盗事件を起こし、一時は町全体を支配するほどの勢力を誇りました。1880年のグレンロワンの包囲戦で集団は壊滅し、メンバーの多くが命を落としました。
中核メンバー4人
ネッド・ケリー(Ned Kelly、1854年〜1880年)
ギャングの首領。優れた馬術と荒野での生存能力(ブッシュクラフト)を持つ人物で、大胆な行動と権威への反抗心で知られていました。貧しいアイルランド系移民の家庭に生まれ、若くして警察との軋轢を経験したことが、無法者へと至る背景にあります。1880年11月、メルボルンで絞首刑に処されました。
ダン・ケリー(Dan Kelly、1861年〜1880年)
ネッドの弟。優れた射撃の腕前を持ち、兄にとって右腕ともいうべき存在でした。兄とともに逃亡生活を送り、グレンロワンの包囲戦では宿屋に立てこもりましたが、建物が焼け落ちる際に死亡したとされています。
ジョー・バーン(Joe Byrne、1856年〜1880年)
ネッド・ケリーの親友であり、ギャングの初期からのメンバー。馬術に長け、勇気と仲間への忠誠心で知られていました。教養があり、ギャングが残した有名な「ジェルダリーの手紙」の起草に関わったとも言われています。グレンロワンの包囲戦で銃撃を受け、命を落としました。
スティーブ・ハート(Steve Hart、1859年〜1880年)
ユーロア銀行強盗事件の頃にギャングへ加わったメンバー。ダン・ケリーの友人で、忠誠心と勇気に富んだ人物として知られていました。グレンロワンの包囲戦で最期を遂げたと考えられています。
アーロン・シェリット(Aaron Sherritt、1859年〜1880年)
アーロン・シェリットは、ギャングの一員というより、彼らに深く関わった協力者・友人として知られる人物です。特にジョー・バーンとは幼馴染の親友でした。しかし後に警察の情報提供者(密告者)となり、これがギャングの追跡に大きな影響を与えました。1880年6月26日、自宅でジョー・バーンによって射殺され、この事件が数日後のグレンロワンの包囲戦につながったとされています。
まとめ
ケリー・ギャングの中核は、首領のネッド・ケリー、弟のダン・ケリー、親友のジョー・バーン、そしてスティーブ・ハートの4人です。彼らはわずか2年余りの活動ながら、貧困と権力への抵抗の象徴として、今日でもオーストラリアの人々に語り継がれています。一方、友人から密告者へと転じたアーロン・シェリットの悲劇は、ギャングの物語に影を落とす出来事として記憶されています。