歴史物語

1381年6月16日、イングランドで何が起こった?──農民一揆とワット・タイラーの最期

1381年6月16日に何が起こったのか?

イングランド農民一揆(ワット・タイラーの乱)

一揆の動きは、6月16日当日に突然始まったわけではありません。6月13日、エセックスとケントの反乱農民たちがロンドンへ向けて進軍を開始。翌6月14日には、南部で蜂起した一揆勢がカンタベリーを襲撃・略奪しました。

6月15日、国王リチャード2世と評議会は、ロンドン東郊のマイル・エンドでエセックス側の一揆代表と会見します。農民たちはここで、40か条からなる請願書のほとんどを認めるよう王側に迫り、これを受け入れさせました。一方その頃、ケント出身の一揆指導者ワット・タイラー率いる群衆は、ロンドン橋の南に位置するサザワーク地区の大部分を焼き払っていたのです。

そして翌日の6月16日、タイラーはついにリチャード2世と対面しました。しかしその場で争いが勃発し、タイラーは殺害されてしまいます。強力な指導者を失った農民たちは勢いを失い、その後まもなく撤退。こうして中世イングランドを揺るがした大規模な農民一揆は、急速に終息へと向かったのです。

なお、この一揆は戦費調達のために導入された人頭税への反発などを背景とした、当時最大級の民衆反乱でした。「労働は無償であるべし」という平等思想を掲げたジョン・ボールの説教とともに広がったこの運動は、後世の社会変革にも大きな影響を与えた出来事として知られています。