歴史物語

なぜ聖ジョージはイングランドの守護聖人なのか?その由来と歴史をひもとく

イングランドといえば、白地に赤い十字の旗——「聖ジョージ・クロス」を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし興味深いことに、聖ジョージ(セント・ジョージ)自身がイングランドを訪れた、あるいはこの土地と何らかの直接的なつながりを持っていたことを示す確かな証拠は、ほとんど存在しないのです。

聖ジョージとはどんな人物?

聖ジョージは3世紀末から4世紀初め頃に生きたローマ帝国の軍人とされ、キリスト教徒であったために皇帝ディオクレティアヌスの迫害のもとで殉教したと伝えられています。出身地は現在のトルコあるいはパレスチナ周辺と考えられており、有名な「竜退治」の伝説にも、イングランドは一切登場しません。

いつから守護聖人となったのか

聖ジョージがイングランドの守護聖人として広く崇敬されるようになったのは、中世、とりわけ14世紀以降のことです。決め手となったのが、エドワード3世が1348年頃に創設した「ガーター勲章(Order of the Garter)」でした。同勲章は聖ジョージを守護者に据え、ウィンザー城内の「聖ジョージ礼拝堂」が騎士団の精神的な拠点となりました。ガーターの騎士および女性騎士(Ladies of the Garter)による伝統的な年次集会も、この礼拝堂で今なお執り行われています。

こうした経緯から、聖ジョージ・デー(4月23日)は、聖人の生涯を偲ぶ記念日というよりも、ガーター騎士団の伝統と深く結びついた日として捉えられる側面もあります。

本来の守護聖人は聖エドワード証聖王?

さらに見逃せないのが、それ以前のイングランドにおける守護聖人の存在です。ノルマン征服以降の中世イングランドでは、王室や国家の守護者として厚く信仰されていたのは、聖ジョージではなく「聖エドワード証聖王(St Edward the Confessor)」でした。アングロサクソン朝の敬虔な王として列聖されたエドワードは、ウェストミンスター寺院の建立者としても知られ、その祝祭日(10月13日)は長きにわたり国家的重要な日とされてきました。

つまり「イングランドの守護聖人」という地位は、固定されたものではなく時代とともに移り変わってきたのです。十字軍を通じて聖ジョージへの信仰が広まり、王室の後押しを受けて国民的シンボルへと定着する一方、それまでイングランドを見守ってきたのは聖エドワード証聖王でした。

まとめ

イングランドと縁のないはずの聖ジョージが守護聖人とされるのは、歴史的な偶然と政治的な思惑が重なった結果といえます。厳密な根拠に基づく選定ではなく、中世の騎士道精神と王室の権威づくりの過程で自然発生的に定着したもの——それが、聖ジョージとイングランドの関係の実像なのです。