17世紀の北米植民地の中でも、メリーランドには人々を引きつける独自の魅力がありました。ここでは、入植者たちがメリーランドを新天地として選んだ主な動機を5つの観点から解説します。
1. 宗教的自由
メリーランドが設立された最大の理由の一つは、宗教的自由の追求でした。当時のイングランドでは、カトリック教徒が国教会優位のもとで厳しい差別や迫害を受けていました。そこでカルバート家は、カトリック教徒が安心して信仰できる避難所として、この地への植民を計画しました。
1634年、レナード・カルバートに率いられた約200名のイギリス人カトリック教徒が最初の入植者として渡来し、チェサピーク湾岸に入植地を建設しました。植民地の名前「メリーランド」は、イングランド国王チャールズ1世の王妃でありカトリック信徒でもあったヘンリエッタ・マリアにちなんで名付けられたものです。
その後、1649年には「メリーランド寛容法(Toleration Act)」が制定され、キリスト教徒間の宗派を問わない信仰の自由が法的に保障されました。これは当時としては極めて先進的な取り組みでした。
2. 経済的な機会
メリーランドは天然資源に恵まれた土地でもありました。豊かな森林から得られる木材、そして後に植民地経済の柱となるタバコ、チェサピーク湾で獲れる魚介類など、貿易による利益を生み出す資源が豊富に存在しました。
多くの初期入植者は農民であり、母国での貧困や限られた将来性から逃れ、新しい生活を築いて経済的地位を向上させることを目指して渡ってきました。
3. 土地所有の可能性
自分の土地を持てることも、大きな魅力でした。ヨーロッパでは土地は貴族や富裕層のものがほとんどでしたが、メリーランドでは入植者に広大な土地が与えられました。
特に初期の入植者には、教育水準が高く本国で人脈を持つ人々が多く、イングランド王室や領主から大規模な土地特許(grant)を獲得し、大地主となる道が開かれていました。これは社会的な成功を夢見る人々にとって強い動機となりました。
4. 政治的自由
メリーランドは代表制議会によって統治されており、入植者自身が政治に参加し、自らの意見を反映できる仕組みを持っていました。
当時の多くのイギリス植民地が総督による権威主義的な支配下にあった中で、住民の声が政治に届くという点は大きな特徴であり、自治への憧れを持つ人々を引きつけました。
5. 冒険心と新しい人生への期待
また、特定の宗教的・経済的目的がなくても、未知の土地での冒険や人生の再出発を求めて渡った人々も少なくありませんでした。新大陸には無限の可能性があるという噂が広まるにつれ、新しい経験や機会を求める人々が海を越えてやってきたのです。
まとめ
メリーランドへの定住動機は、宗教的自由、経済的機会、土地所有、政治参加、そして冒険心と多岐にわたります。これらの要素が組み合わさったことで、メリーランドは多様な背景を持つ人々を受け入れる植民地として発展していきました。